「少子化という現象は、人が都市で消費された結果だと」
「労働」についての言葉が目についたので、それらを並べてみたい。
社会学者の山下祐介さん。『里山資本主義』の著者・藻谷浩介さんとの対談で、次のように述べている。『しなやかな日本列島のつくりかた』から。
「今、特に都会で働いている人たちは、人生の多くが『暮らし』ではなく『労働』になっています。その労働というのも、昔は生活と直結するものだったのが、今はなんのために働いていて、誰にその糧が回っているのかよく分からない。がむしゃらに働き、ご飯は外食、結構な家賃と光熱費を払いながら、家に帰ったら寝るだけ。もともとは普通に暮らしていくためにやっていたはずのことが、いつのまにか、もっと大きなシステムの中の一部分に組み込まれてしまっているのです」 (P53)
いつのまにか、「暮らし」が犠牲になり、「労働」が中心となってしまっている。その「労働」も大きなシステムの中で、何のために働いているのかが分からなくなっている、という指摘である。
社会学者の濱野智史さんも、朝日新聞(4月24日)で「労働」について次のように書いている。
「効率性だけが追求される資本制社会では、多くの人々は、食いつなぐだけの『労働』にしか従事できず、後世に残る『仕事』には関われない。だから疎外感を味わう」
こうした状況について、藻谷浩介さんも、次のように語る。『しなやかな日本列島のつくりかた』から。
「『復興は人の暮らしのため』、『経済成長はあなたが生きていくため』というけれど、あなたが生きていくために、あなたの暮らしを犠牲にしましょうって、それは話がおかしいですよね。『生きるために経済成長しましょう』と言っているうちに、成長の方がいつのまにか目的になって、『経済成長のために生きよう』という主客転倒を起こしているのです」 (P58)
経済や成長、すなわちお金のために「暮らし」が犠牲になっている。
この復興については、山下祐介さんは、著書『東北発の震災論』で次のように書いている。
「『復興』を進める事業のためには、人の暮らしはどうなっても構わないという力学が生まれているようだ」 (P269)
この山下さんの言葉の「復興」を、そのまま「労働」に置き換えても成り立つ。
さらに藻谷浩介さんの次の指摘は、非常に興味深い。『しなやかな日本列島のつくりかた』から。
「山下さんの本の中に、都会のそうした構造を、ズバリ一言で表した一文がありました。これです。『(農村部から)あふれた人口は都市に向かい、そこで消費される』。労働の中で消費されてしまって、子孫を残さずに消える。少子化という現象は、人が都市で消費された結果だと」 (P55)
「二十世紀の後半の日本は、戦争前後に大量に生まれた若者を、東京や大阪などの大都市に集めて、国際競争に動員した。その過程で経済成長と呼ばれる現象も起きたんですが、彼らは結局『消費された』、即ち『再生産されなかった』のです」 (P55)
結局、われわれの社会は、経済成長のもと、労働力として「人」を消費してきたということなのである。消費財として「使い捨て」しまったがため、サイクルが成り立たず、その結果としての「少子化」が進んだということなのである。
これは、けっこう恐ろしい指摘だと思う。
アメリカの政治学者のC.ダグラス.ラシスさんの指摘とも重なる。著書『経済成長がなければ私たちは豊になれないのだろうか』から。
「『人材』という言葉は、本当は恐ろしい言葉であって、これからの社会では自分が『人材』だと言われたら怒るような、侮辱的な言葉と考えるべきだと思うのです。私は材料じゃない、人間です、と答える人が増えるようになったらいいと思う。人が人材になるということは、人間を生産の手段にするということです」 (P150)
消費財や材料としてでなく、暮らしを営む「人」としての役割を社会が取り戻すことが何よりも重要なんだと思える。
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