「みんなで決めたことは大抵間違っている。みんなで何か真実なのか見極めようとするプロセスに意味がある」
きのうの朝日新聞(5月29日)に、作家の高橋源一郎さんによる『論壇時評』が載っていた。台湾学生による立法府占拠事件について、次のように書いている。
「学生たちが私たちに教えてくれたのは、『民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム』だという考え方だった」
なるほど、いい考え方だと思う。
そこで、これまでも「民主主義」について言葉を紹介してきたが、今回も上記の高橋さんの言葉とつながっていると思われる「民主主義」についての言葉を並べてみたい。(『民主主義』 )
コピーライターのマエキタミヤコさん。『原発をどうするか、みんなで決める』から。
「今の世の中の多数の人々は何を思い、何を考えているのか。民主主義を通じては、自分だけの思い通りの社会を作ることはできないでしょう。しかし、みんなの思っている社会をつくっていくこと、それが民主主義には可能です」
こちらも、いい指摘だと思う。ただ、みんやや多数の人が思っている社会が必ず「正しい」わけでもない。次は、そんな言葉を。
精神科医の斎藤環さんの指摘。著書『ヤンキー化する日本』から。
「庶民のホンネを代弁するのが代議制民主主義だろう、という意見もあるだろうが、ホンネ幻想に支配された多数派だけが、あっさり衆愚政治に堕してしまうことは想像に難くない。僕自身は、どんな状況でも政治家の仕事は、『理想』を語りその現実を目指すことであると確信しているが、この考え方は日本政治という幻想空間の中ではほぼ通用しないようだ」 (P35)
社会学者の宮台真司さん。トークイベント(2011年12月7日)での発言。
「みんなで決めたことに意味があるわけではない。みんなで決めたことは大抵間違っている。みんなで何か真実なのか見極めようとするプロセスに意味がある」
そう。間違うことが多いからこそ、その「プロセス」が大事になる。
憲法学者の木村草太さん。著書『テレビが伝えない憲法の話』から。
「私は、最近、『有権者の多数決』を『国民』と同視し、多数決なのだからとにかく従え、それが国民主権だという素朴な議論が幅を利かせていることに、少なからぬ危機感を持っている」 (P84)
「最後には、議会での多数決がなされるにしても、歩み寄りの努力が十分になされたかどうか、そのプロセスの重要性を忘れてはならない。そのプロセスこそが、数の暴力との違いを基礎付け.反対者までをも拘束することの正当性を担保するのである」 (P85)
最後にもう一度、高橋源一郎さんの言葉を。きのう(5月29日)の自身のツイッターから。
「民主主義に決まった形はなく、また『正しい』民主主義がどこかにあるわけでもありません。民主主義とは、絶えず変わってゆく『未完のプロジェクト』なのかもしれません」
「この国の民主主義もまた、死んだわけでもなく、壊れたわけでもなく、まだ生まれていないのかもしれません」
我々なりの「民主主義」を探していく。きっと「民主主義」の本質は、「プロセス」にしかないのかもしれない。そう思えてきた。
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