「というより……先がどうなるかわからない方が、コントも人生も面白いでしょう」
前回のブログ(5月13日)の続き。引き続き「お笑い」について。
ここまで、最近のお笑いタレントのレベルは上がっているが、その一方で、
少しでも現実を変え、新しい時代、新しい価値観、新しいものをつくっていこうという気概が失われているのでは、という言葉をつづってきた。
そんななか、今週の雑誌『AERA』(5月19日号)を読んでいたら、「現代の肖像」でお笑いタレントの松本ハウスが取り上げられていた。
ハウス加賀谷さんとキック松本さんとの、お笑いコンビで、加賀谷さんが統合失調症を悪化させたことで活動を休止していた過去を持つ。今は、テレビ『バリバラ』でも活躍しているし、著書『統合失調症がやってきた』も興味深く読ませていただいた。
この記事の中で、マネージャーの大関さんが次のように語っている。
「今の民放さんは統合失調症をいじれない。統合失調症がもっと認知されて、世の中がもっとバリアフリーになって、松本ハウスに健常者のタレントさんに普通に絡む。そういう絵が、未来を明るくすると僕は思うんです」
松本ハウスが自らの統合失調症をお笑いとすることで、少しでも今の社会に風穴を開け、世の中のバリアフリーに貢献できればということ。まさに、それこそお笑いの大切な役割のひとつだと思う。
しかし、「民放では統合失調症をいじれない」という。なぜか?
イラストレーターの山藤章二さん。毎日新聞夕刊(3月28日)での言葉を改めて。(4月10日のブログ )
「自分の想定内のお笑いが好まれ、想定内のオチが好まれる。想定内のお笑いを逸脱するともう、処理できない」
こういう状況では、確かに統合失調症は扱えないし、松本ハウスの出演すら難しいのだろう。「何かおこしそうな人」の居場所は、今のテレビない、ということらしい。
しかし、である。上記の『AERA』の記事の中で、医師の計見一雄さんのこんな言葉が紹介されている。
「そもそもね、芸能と狂気は人類の発生以来とても仲良しなんです」
「お笑いの世界は、きっと逸脱に対して寛容なんだろうね。その世界が、差別だの偏見だのと言い出したら衰弱しちゃうよ。テレビなんてどうだっていいじゃないか。お客の顔が見える芝居小屋で芸を磨けばいいと伝えておいてくれよ」
想定内という予定調和ばかり求めているから、新しい価値観を生み出すことができない。そんなお笑いが面白いのだろうか。
松本ハウスの、キック松本さんも次のように言う。
「というより……先がどうなるかわからない方が、コントも人生も面白いでしょう」
だから、未来に明るさを、新しい可能性を感じることができるのではないか。閉塞感を打ち破るというのは、そういうことなんだと思う。
最後に、作家の森達也さんが、著書『クラウド 増殖する悪意』で書いていた言葉を載せておきたい。
「反社会的であるからこそ、メディアは光を当てる必要があるのだ。社会的に容認された存在にしか光を当てないメディアなど必要ない」 (P57)
マネージャーの大関さんではないか、民放テレビのバラエティ番組が松本ハウスのお笑いを活かせるような日がいつか来てほしいと思う。そうしないと、お笑いタレントのレベルが上がっていたとしても、お笑い番組が、いやテレビそのものが、そのうち居場所をなくしてしまうのではないか。そう思うのだが。
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