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2014年6月 4日 (水)

「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」

前々回のブログ(5月29日)に続いて、安倍政権による「静かなクーデター(仮)」について。

先月、タイでは陸軍が本格的なクーデターを起こした。憲法は廃止され、このあと15カ月かけて新しい憲法を作るという。そのタイのクーデターについて、日本経済新聞(5月24日)の社説では、次のような言葉が書かれていた。

 
「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」

話を日本の安倍政権に移す。弁護士の羽柴修さんも、著書『戦争は秘密から始まる』の中で、秘密保護法について次のように語っている。

「憲法を変えずに憲法違反の法律をつくってしまうということですから、私たちからみたらこれは立法クーデターであって、これは断じて許すことはできない」 (P52)

そして、戦前のクーデターとの一致点を指摘する言葉も。政治学者の白井聡さんの指摘。著書『永続敗戦論』より。

 
「彼らの姿には、戦前の革新官僚や青年将校を髣髴とさせるところがある。そして、戦前の彼らが先行世代を批判しながらも、軍拡―そしてその必然的帰結としての戦争―というさして新しくもない答えしか見出せなかった点において想像力が貧困であったのと非常によく似て、現代の『安全保障サークル』の若手住人も永続敗戦の構造に目を向けようとはしない」 (P143) 

改めて考えると、もともと安倍政権のお題目は「戦後レジームの脱却」なのである。

ジャーナリストの鳥越俊太郎さんは、『戦争は秘密から始まる』で次のように語る。

「彼が言っている『美しい国・日本』とは、戦後のレジームチェンジと言っています。レジームチェンジとはどういうことか。レジームとは一つの体制のことです。国のかたち、これを変えようということです」 (P24)

「要するに国のかたちを変えようというのが安倍さんの言っていることです」 (P25)

 
「これからはもっと大事なことは国が決めて、国が決めたことをちゃんと国民も守れよと、こういう国家統制型の国をつくろうというのが『美しい国』の中身です」 (P26)

安倍政権は、当初から国の形を変えるのを目的としているのである。
 

もちろん選挙に選ばれた議員が、正しい民主的な手続き・プロセスを経て、国の形を変えていくことは何の問題もないのだろう。一方で、正しい手続きを経ることなく、暴力的にいきなり国の形を変えようとすることを「クーデター」と呼ぶのではないか。

憲法を軽視する「解釈改憲」というやり方。安倍政権によるおよそ正しいとは言えない手続きによって国の形を変えようとしていることは、どうなのか。ということでもある。

作家の保阪正康さんは、朝日新聞(5月29日)で、安倍総理のやり方について次のように述べている。 

「集団的自衛権は正義なんだ、日米同盟の軸なんだ―。安倍さんの頭の中にはそんな思考回路ができあがっていて、認めない人は『おまえが悪い』となってしまうのでしょう。自分の世界に入ってこられない人は、異質に見える。きっと物事を論理的に考えることができない、悲しいほど自己陶酔型の人物だと感じました」

異質を認めず排除するやり方…。

前回のブログ(5月30日)では、民主主義について書いた。

それと関連するが、立教大学教授の哲学者、河野哲也さんは、著書『道徳を問い直す』で民主主義について次のように書いている。

「民主主義の美点は、合意を形成することにあるのではない。そうであるのなら、公民的共和主義のように、同質性を強要する危険性が生じてしまう。むしろ、民主主義の特徴は、対立が維持されつづけることにある。そこでは、合意は特権化されずに、対立と差異が正当なものとして認められ、権威主義的な秩序を作って対立を無理に除去されたりしない。異議や対立する諸価値が併存し、それが決して終息しない多元性を維持することが民主主義の本質なのである」 (P131)

異議や対立する諸価値が併存することこそ、民主主義の本質だとすると、異質を認めない安倍総理ははたして民主的なのだろうか…。 ということである。

この冒頭にタイのクーデターに対して、日本経済新聞による「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」という指摘を書いた。

民主主義と法の支配を損なう行動…。 

この指摘は、憲法の軽視と民主主義の否定という安倍政権がやっていることにも、そのまま当てはまると思う。とすると、あながち「静かなクーデター(仮)」という言い方も大げさではないと思うのだが、どうだろうか?

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