「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう」
もう少し「目の前」について。
W杯ブラジル大会。日本代表は敗退した。
ちゃんと「目の前」で起きたことを見つめ、総括・検証して、同じ過ちは繰り返さないよう将来にちゃんと活かしてほしい。
せっかくなので、今回はサッカーにまつわる「目の前」についての言葉を並べてみたい。
その元日本代表監督のイビチャ・オシム氏の言葉。『オシムの言葉』文庫版(著・木村元彦)より。
「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう」 日経新聞2005年3月3日 (P212)
まさに現実を見据え、現実を徐々に良くしていくこと。これは、「目の前」と向き合い、少しずつ変えていくということ。
今朝のコロンビア戦より前の記事となるが、次の指摘も「目の前」と向き合え、ということ。朝日新聞(6月23日)から、編集委員の潮智史さんの指摘。
「ボールの争奪にこだわり、相手より走り、ゴールを目指す。戦術をうんぬんする前に、目の前の相手に負けない。それが立ち返るべき原点ではないか」
そして、同じくその朝日新聞(6月23日)には、小説家の星野智幸さんのブラジル現地リポートも掲載されている。その文章から。
「いまの日本には『現場』感覚が欠けていると思います。自分で『何が起きているか』を確かめもせずに他人の体験や言葉を代用し、一つの方向に流されてしまう。そこには個人の実感がないから、国家にだまされていても『危ない』という感触が持てない」
「サッカーも現場で考えてみるべきです。一体感を味わうだけの人もいれば、個々人の実存をかけて応援する人もいる。一概にナショナリズムの発露だとは決めつけられません。現場は複雑ですから」
ここで言う「現場」とは、まさに「目の前」のこと。「目の前」を見ようとしないから、一つの方向に流されてしまう。サッカーだけのことではない。社会そのものに当てはまること。
次は、サッカー解説者のセルジオ越後さん。『日本のサッカーが世界一になるための26の提言』より。
「僕は組織は『美しいエンジン』だと思っているの」
「いろんなところで小さな活動を続けることが、サッカーという美しいエンジンを作るために必要なことなんじゃないかな。その自覚をみんなが持つべきだと思いますね」 (P59)
「W杯で優勝する」という夢を語ることも大事である。ただ、それも同時に「目の前」と向き合い、考え続けるという「小さな活動」を続けないと、チームや日本サッカーそのものの「システム・組織」も機能しないということ。
「スモール・イズ・ビューティフル」。
何度も繰り返す。「目の前」に起きる小さなことと向き合い、少しずつ変えていくしかない。(3月24日のブログその1と、ブログその2 )
社会学者の濱野智史さんの言葉。朝日新聞(4月24日)より。
「規模の小さな地域の『現場』だからこそ、人々が関わりあい、血の通った知恵が生まれ、変革の可能性が開かれるということだ。『スモール・イズ・ビューティフル』ならぬ、『スモール・イズ・インサイトフル(洞察に満ちている)』なのである」
そして、サッカーには社会を良い方向に変える力がある。(6月11日のブログ )
最後にオシム氏の言葉を。NHKスペシャル『民族共存へのキックオフ~“オシムの国”のW杯~』(6月22日放送)より。
「闘う姿を見るだけでも、国民には喜びとなる。人々の気持ちを動かす。自分は何かの一部だと感じ、人々と共に道に出て、共に歌い踊る。生活や仕事に希望が戻り、国が再び歩み始めるんだ」
ボスニア・ヘルツェゴビナがW杯の初勝利を手に入れることを心から願う。
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