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2014年6月11日 (水)

「サッカーという大きな装置はナショナリズムにも転用されやすいけど、世の偏狭なものを乗り越え得る力がある」

サッカーのW杯ブラジル大会直前。テレビも新聞もサッカーだらけ。いつものこと。

個人的には、日韓大会とドイツ大会を現地取材しているだけに、ブラジルの現地がどんな空気なのかについて興味はあるが、日本代表に対しては、なかなかスイッチが入らない。

そこで今回は、サッカーには「勝利」「日本代表」ということ以外にも社会的な大きな役割があることを指摘している言葉を並べてみたい。


まずは今朝の朝日新聞(6月11日)より。岡田武史さんの言葉から。

 「今回のW杯が各地で緊張が高まる世界の流れを変える大きな力になってほしい」

「民族や国家ではないくくり。縦のくくりがそれなら、サッカー仲間や音楽仲間といった国境を越えた横のつながりがある。これからの時代はそういうものが大事になって、W杯や五輪はそれを具現化する場になりうると考えている」


そう。サッカーには世の中や社会を変える力がある。


イビツァ・オシム氏
『オシム 勝つ日本』(著・田村修一)より。

「イングランドにおいては、サッカーは、社会問題を鎮静化する社会政策でもある。サッカーとともに生きることで、さまざまな問題が解決される。社会を安定させるために、為政者たちはサッカーを社会システムの中に組み込み、サッカーをうまく利用している」 (P184)

日本だって、ヒトゴトではない。

今季は、Jリーグで浦和レッズの横断幕問題が起きた。偏狭的なナショナリズムに日本サッカー界がどうやって対応するかが注目された。その克服の過程は、ヘイトスピーチの問題の克服にもつながっていくのだと思う。


ジャーナリストの木村元彦さんの言葉。雑誌『週刊金曜日』(5月9日号)より。

「サッカーという大きな装置はナショナリズムにも転用されやすいけど、世の偏狭なものを乗り越え得る力がある」

スポーツライターの杉山茂樹さんは、日本代表監督について。著書『「負け」に向き合う勇気』より。

「サッカーには世の中を変える力がある。そしてその急先鋒になりえるのが、日本代表監督だ。次期代表監督には、その語録が、代表のサッカーのみならず、メディア、国民を含む日本社会の刺激となるような、スケールの大きな人物に就いて欲しいものだ」 (P252)

僕も個人的には、ザッケローニ監督はどうも好きになれない。冒険やリスクをおかすことなく、着実な結果だけを積み重ねていく、なんだか日本の企業経営者のようなイメージなのである。残念ながら彼の言動からは、あまり心を動かされるものは伝わってこない。W杯の結果は分からないけど。

イビツァ・オシム氏の母国セルビア・ヘルツェゴビナは、W杯初出場を決めている。オシム氏は、その役割について次のように語っている。ドキュメンタリー番組『オシム 73歳の闘い』(NHK-BS1)より。

「勝利を祝う姿を見るだけでも国民には喜びとなる。その気持ちが大事なんだ。自分は何かの一部だと感じ、人々と共に道に出て、共に歌い踊る。生活や仕事に希望が戻り、国が再び歩み始めるんだ」

この番組に出てきたセルビア人サポーターのムアメル・ソルティチさんの言葉も印象的だった。

「僕らはスポーツを通じて成功を追い求めている。サッカーの試合には大きな役割があるんだ。イタリア、スペイン、ドイツのような大国には普通のことだけど、僕たちにとっては大きな成功なんだ。祖国の選手の活躍はみんなに幸福を与えるんだ」

W杯ブラジル大会。世の中や社会を変え、新しい価値観を生み出すようなサッカーが見らること。そして見ているものに幸福を与えてくれることを祈りたい。





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