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2014年7月14日 (月)

「どうも日本人は、そういうミスやリスクのある要素を排除したいと考える傾向があるようだ。サッカーに限らず、人生においても、そういう傾向があるように思える」 

前々回のブログ(7月9日)と、前回のブログ(7月10日)では、日本サッカーについて「負け」を正面からみつめ、「負けることのタフさ」を身につける必要性について書いた。

そのあと、イビチャ・オシム氏新刊『信じよ!』を読んでいたら、それに関連する指摘があった。

「しかし、彼らは、ゴールを前にすると落ち着きを失った。これまでの習慣が、そうさせたのだ。当時、日本の選手が抱えるメンタリティの問題の一つは、強豪チームとのビッグゲームを前にすると、まず『負けないためにはどうすればいいか』という思考を持つことだった。自らを過小評価して、試合に勝つことを考えず、先に負けることを恐れるのだ」 (P130)

つまり、日本サッカーチームは「負け」をあまりに嫌うがため、常に「どうすれば負けないか」を考えてしまうという。さらに、次の指摘も興味深い。

「そして、いざ試合が始まり、実は相手チームが、それほど自分たちを上回ったテクニックやスピードや組織力、個人技を持っているわけでもなく、互角の試合ができていることに気づくと、今度は、その状況に驚き、対応できず、実力を発揮できない」 (P130)

予定と違った状況、すなわち「想定外」に弱いということ。

「歯車が、わずかにかみ合わないときもある。スピーディーでダイレクトなプレーをしようとすると、必ずミスが起きる。どうも日本人は、そういうミスやリスクのある要素を排除したいと考える傾向があるようだ。サッカーに限らず、人生においても、そういう傾向があるように思える」 (P185)

結局、その国のサッカーには、ミスやリスクを極端に嫌うという国民的性格が出てしまうということなのだろう。

例えば野球も。桑田真澄さんは次のように語っている。著書『スポーツの品格』より。(2013年10月22日のブログ

「スポーツで失敗するのは当たり前です。実際のところ、失敗の連続ですよ。野球なんか特にそうです。バッターは10回のうち3回打てば3割打者で一流ですし、投手だって、すべてのボールを思ったとおりのコースに投げることなんてできません」


「僕たちも『失敗したら負けるぞ』と教わってきましたが、でも、そうではないですよね。長年やってきて思うことは、『失敗したら負ける』のではなくて、『失敗を一つでも減らしたほうが勝てる』というのが正しい言い方です。そもそも失敗は付きものなので、最初から失敗を恐れてやっていたら、いいプレイはできませんよ」 (P87)

常に「負けないこと」を第一に考え、もし負けた場合は、それから目を逸らそうとする。

どうすれば、この体質を変えることができるのか。それについて少し考えてみたい。

まず、スポーツライターの杉山茂樹さんの言葉を。著書『日本サッカー向上委員会』より。

「ぼくがこれからの日本サッカー界に訴えたいのは、『もっと勝利を』ではなく『もっと楽しく』ということ」 (P184)

野球の中日ドラゴンズのGM落合博満さんの言葉。著書『采配』より。

「大切なのは勝ち負けよりも勝利へのプロセス。そのプロセスが人生というものなのだろう」 (P95)

2人とも同じことを言っているんだと思う。
「勝つこと」「負けること」を考えて硬直するよりも、そのプロセスをいかに「楽しく」できるか。


先のほどのイビチャ・オシム氏著書『信じよ!』。こんな指摘も載っている。

「私は日本に滞在して間、日本の社会には、主役は男性で、女性が脇役として陰から支えることが素晴らしいとされる特殊な美徳があるように感じた。そして主役であるはずの男性は、仕事と金にとらわれすぎているようにも思えた。仕事をして稼ぎ、また仕事をして……という仕事を中心に生活が回り、そのサイクルに心身ともに疲弊して、人生を楽しんだり、自分を表現する余裕もチャンスもないように映った。だが、女性のほうは、家庭を守り、子どもを育て、仕事もして、実際には社会を支えながら、自己表現できる本物の人生を歩んでいるように見えた」 (P196)

日本の男性は、仕事(すなわち、勝ち負け)ばかりにとらわれるあまり、楽しむプロセスを忘れている、という指摘。一方で、女性の方は「社会を支え」ながら、「本物の人生」を歩んでいる…。

その前の杉山さんと落合さんの言葉と重ねると興味深い。


少し前のブログ(6月27日)では、次の言葉を紹介した。スウェーデン出身で日本在住の武道家、ウルリカ柚井さんの指摘。著書『武道の教えでいい子が育つ!』から。

「今の日本のように、生活実感のない男性が社会を動かしている限り、なかなか『女性にとって働きやすく、子育てをしやすい社会』を実現するのは難しいのではないでしょうか」 (P150)

ここでは、これからは、生活実感のある政治家でないと、社会をよくすることはできないという指摘である。

最後に。
かつて日本の女子リーグでも活躍したノルウェーのサッカー選手、リンダ・メダレンさんの言葉を。『蹴る群れ』(著・木村元彦 文庫版)より。


「日本協会の理事に、女性は何人いますか?ノルウェーは副会長も含む8人中3人が女性です。24時間女子のことを考えている人を、せめて一人は入れないといけない」 (P249)

これは、日本の女子サッカーについての改革の提言だが、日本のサッカー界全体の改革のためにも必要なことに思える。これからは、ピッチの選手たちの多様性とともに、組織全体の多様性を進める。生活実感のある女性の登用は、まずその第一歩となる。

W杯ブラジル大会は、ドイツが24年ぶりに優勝した。ドイツは、統一後、
サッカー界はもちろん、社会全体としても多様性を受け入れながら、問題と取り組んできた国である。

そのドイツのリーダーは、女性であるメルケル首相。試合後の彼女の喜ぶ姿も印象的だった。ちなみに準優勝したアルゼンチンも女性大統領である。



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