« 「ドイツにとって移民国家への転換は、外国人を『リスクとコストと考える文化』から『ドイツに貢献する歓迎すべき人々と考える文化』への転換でした」 | トップページ | 「政治においては『言葉がすべて』なのです」 »

2014年7月19日 (土)

「多様な『正しいこと』をすり合わせ、みんなで『正しいこと』を模索し続けなければ、破滅の道を歩んでしまうのではないか」 

おとといのブログ(7月17日)に続いて、今日も「多様性」について。

サッカーから始まった「多様性」の必要性についての考察。どこまで転がっていくのだろうか。

きのうの朝日新聞(7月18日)には、元官房長官の野中広務氏のインタビューが載っていた。今の安倍政権について、次のように語る。

「自民党の多様性が失われてしまったんです。政治改革の名のもと、選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に変えてしまったから」

「党総裁である首相の意向に従う議員ばかりになり、党内の左右のバランスは崩れたんです」

今の日本の国民についての次の指摘にも肯く。

「日本はみんな右向け右なんです。たまには左を向けよ、と言いたい。これは島国DNAなんでしょう。結局、みんなと同じ方向を向いているほうが安心感がある」

小選挙区という選挙制度によって、与党の政治家の多様性が失われ、同僚圧力と安心感から、同じ方向に国民が流れる、ということなのだろう。

以前のブログで紹介した2人の方のコメントをもう一度、載せておく。(2月13日のブログ

作家の半藤一利さん著書『そして、メディアは日本を戦争に導いた』から。

「近代以降の歴史を見ると、どうもこの民族は他の民族よりも強くなだれ現象を起こしている」 (P92)

歴史学者の加藤陽子さん毎日新聞夕刊(2013年8月22日)より。

「この国には、いったん転がり始めたら同調圧力が強まり、歯止めが利かなくなる傾向がある」

同調圧力が強まっていき、歯止め聞かなくなる前に、進めなければいけないのが、まさに「多様性」ということだろう。

では、この「多様性」を進めていく際に、必ず必要になってくるものは何か…。それは「言葉」なのではないか。

またサッカーに話を戻す。

サッカー協会の田嶋幸三さんは、著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』で、ドイツで少年サッカーの試合を観たときの、日本とドイツの子供たちの違いについて、次のように書いている。


「ミスの理由や原因を、ハッキリとことばで言ってくれればいいわけです。ところが、日本の子どもたちはそうした表現が苦手です。ドイツと日本の練習風景を比べてみたとき、まずはっきりとした違いとして私の目に映ったのは、『自分の考えをことばにする表現力』でした」 (P12)

「『言語技術』は、日本のサッカーが欧米と対等に試合をしていく際、確実に獲得し、消化し、血肉化していかなければならない決定的な能力である」 (P38)

当然、多様な出自の選手がいるサッカーチームや、多様な価値観を持つ人たちが集まる社会では、今までの日本社会のように「あうんの呼吸」というコミュニケーションが成り立ちにくくなる。

ちゃんと自分の考えを口にして、言葉にして、コミュニケーションをとらないと、それこそトラブルのもととなってしまう。

田嶋さんが言う「言語技術」というのを言い換えれば、「対話能力」ということになると思う。

 きのう、日本教育大学院大学客員教授の北川達夫さん著書『苦手なあの人と対話する技術』を読んだ。北川さんは、その「対話」の必要性を説く。

「対話とは、人間がみな違うことを前提とする。違うから、わかりあえない。わかりあえないから、話すしかない。話しても、わかりあえるとは限らない。だから話し続けるしかない―これが対話なのだ」 (P120)

北川達夫さんは、著書『ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群』では、次のように語っている。

「相手の見解があって自分の見解がある、それが対立するとお互いが変わってくる。まさに、その変わってくるところを楽しめるか。そこを重視できるかですよね」 (P175)

多様性が進めば、その空間にはいろんな「違うこと」や「異なること」が隣り合わせに存在する。もともと分かりあえないから、「言葉」を使って話す。それによって、社会や自分が変わっていく。それをいかに楽しめるか、自分たちの力にしていくか。

まさに「多様性」の効用である。

「多様性」と「言葉」は、この2つはかなりかかわりの深いキーワードなのである。

野中広務氏の指摘する政治家についても、安倍総理が「正しい」と掲げることに、みな従ってしまうのではなく、本来は、それぞれが「正しい」と考える政策・考え方をぶつけ合い、話し合っていくことが必要になのある。それが日本社会の雪崩現象を防ぐことにつながっていく。

北川達夫さんは、上記の著書『苦手なあの人と対話する技術』で、次のように書いている。

「多様な『正しいこと』をすり合わせ、みんなで『正しいこと』を模索し続けなければ、破滅の道を歩んでしまうのではないか」 (P30)

« 「ドイツにとって移民国家への転換は、外国人を『リスクとコストと考える文化』から『ドイツに貢献する歓迎すべき人々と考える文化』への転換でした」 | トップページ | 「政治においては『言葉がすべて』なのです」 »

★サッカーと多様性」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

« 「ドイツにとって移民国家への転換は、外国人を『リスクとコストと考える文化』から『ドイツに貢献する歓迎すべき人々と考える文化』への転換でした」 | トップページ | 「政治においては『言葉がすべて』なのです」 »

カテゴリー

無料ブログはココログ