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2014年7月 8日 (火)

「多様性のもたらすダイナミズムが評価できるようにならないと日本は埋没してしまうと危惧する」

もう少し「多様性」についての話を転がしてみたい。きのうのブログ(7月7日)に続いて。

多様性と向き合い、それを進めていかないと、日本のサッカーも、日本社会も「強く」なれないという話だった。

やはり、ここでもう一度、国際政治学者の緒方貞子さんの言葉も改めて載せておきたい。岩波書店編『これからどうする』から。(2月26日のブログ

「日本はまず足元を固めることから始めなくてはなりません。そのために何が必要か。逆説的に聞こえるかもしれませんが、世界は多様性に基づく場所だということを真に受けとめ、自らも多様性を備えた社会にしていくことだと思います」 (P5)

「日本社会が自信を取り戻し、再び前進するためには、世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開き、そこから多くを学びとるとともに、国内でも多様性を涵養してくことが必要です。そのことが日本に活力を与え、閉塞感を打開することにつながるのです。そこにこそ、これからの日本の進むべき道はあるのです」 (P6)

まさに日本サッカーに対する提言として、読むべき言葉だと思う。

さらに雑誌『文藝春秋』(7月号)に、こんな言葉が載っていた。大和証券グループの田代恵子さんが『東京に足りないものは』と題して書いている文章から。田代さんは、これまで東京以外に、シンガポール、ロンドン、ニューヨークという都市に住んだ経験を持つ。

「東京に住んでいると異なる文化で育った人間を理解しようとする努力、また逆に理解してもらうための伝える力が鍛えられない。他方、三都市には多様性から生まれるエネルギー、異文化を許容する優しさが日常生活に浸透している」


「多様性のもたらすダイナミズムが評価できるようにならないと日本は埋没してしまうと危惧する」 (P88)

この指摘も、そのまま日本サッカーについてもあてはまる。

当然だが、この「多様性」の問題は、「システム・組織」との問題とも直結している。

従来のムラ的な「システム・組織」は、多様な「個」が存在する「面倒くささ」を排除しようとする。多様性が存在していては、効率的なコントロールがきかなくなるという「ムラ」の論理。(「システム・組織」「コントロール」

文化人類学者の辻真一さんの言葉を改めて。著書『弱さの思想』より。(3月20日のブログ

「多様であるってことは非効率ですからね。効率性を重んじる現代社会から見ると、多様であることは弱いことなんです」 (P117)

「効率性は文明における強さの定義に欠かせないものです。そして、効率性は、多様性を犠牲することによって高められる。つまり、多様性を負かすことによって効率性は勝つ」 (P165)

我々が「個」よりも「システム・組織」を優先するムラ社会を続けている限り、多様性のある「強い」社会、「強い」サッカーは展開できない、ということなのかもしれない。

もうひとつ。ジャーナリストの木村元彦さんの言葉も。著書『蹴る群れ』(文庫版)から。

「東西冷戦が終結し、世界が一つの巨大な価値観に支配されようとしている。“あの大国”に抗うには、スポーツ選手はあまりに無力だ。けれど、メジャースポーツで唯一、米国スタンダードでないこのサッカーという競技の選手たちは、自らのプレーで愛する祖国の存在感を見せつけることができる」 (P10)

やはり、日本社会に対して、日本のサッカーにできることは多いと思う。サッカーと社会とが一緒に強くなっていけばいい、というかそれしかないと思う。その可能性に、大いに期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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