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2014年7月 3日 (木)

「やっぱり日本選手って、なんとなく平準化されていて、みんなが“いい人”で、鼻つまみ者がいないうというか」

W杯ブラジル大会の日本代表について。

今回の日本チームの「惨敗」について、久米宏さんがラジオ番組でこんなことを話していた。TBSラジオ『ラジオなんですけど』(6月28日放送)より。

「日本代表は、ザッケローニ監督を含めて“いい人”すぎないか、というのが実感。ケタ外れの人だとか、規格外の人とか、悪魔みたいとか…、そういうのがいないと、本当に強いチームができない。そのチームには、ケタ違いの選手が1人か2人くらいいる。これどうしようもないという選手が…」

「やっぱり日本選手って、なんとなく平準化されていて、みんなが“いい人”で、鼻つまみ者がいないうというか。いた方がいいというのではなくて。チームの輪を乱すようなものが2~3人いないんじゃないかなって。極論ですよ」

「でも、都議会のやじは別だけど…」

最後のコメントにも、笑ったけど。主題は、日本サッカーについて。

いい人すぎる…。平準化されている…。

まず思い出したのが、キング・カズこと、三浦知良さんの言葉。朝日新聞(2013年5月21日)より。(2013年5月22日のブログ

 
「僕には、平均化されない、とがった存在でありたいという思いがある」

元ヴェルディ総監督の李国秀さんの次の指摘も思い浮かべた、読売新聞(6月20日)より。

「私が印象深かったのは、惜しいシュートが外れた時のギリシャの選手の顔付きだ。ものすごい形相だった。日本には、シュートを外しても淡々としていた選手がいた。気力の差を感じた」

こういう気力の差は、どこから来るのだろうか。個人のモチベーションの問題なのか、日本社会の問題なのか。

久米宏さんの「“いい人”すぎる」という指摘。これは、サッカー選手だけのことではない。内田樹さんの次の指摘と重ねて読むと興味深い。著書『街場の共同体論』より。

 
「階層上位の人たちって、僕もたまに個人的に知り合う機会がありますけれど、立場を超えて、だいたい基本的に『いい人』なんですよ。自己主張が控えめで、礼儀正しくて、穏やかで、ユーモアのセンスがあって。当たり前ですよね。自分の帰属する共同体の中で、周りの人たちに気を遣いながら、なるべく嫌われないようにやってきて、今日の地位を得たわけですから」 (P234)

これは、世襲の政治家について語ったもの。彼ら政治家も「いい人」らしい。

世襲とは、代々受け継がれてきた「システム・組織」を引き受け、それを存続させること。だから、そんな政治家たちには、世の中はもちろん、自分の属する「システム・組織」を何とか変えてやろうという「気力」は当然ながら感じられない。


さらに田樹さんは、こんな指摘もしている。

 
「現代日本の成功者たちって、ほとんど『自己決定してない』人たちなんです。自分を殺し、決められたキャリアパスを粛々とたどり、周囲の期待に応え続けることで、成功したんです。彼らの成功の秘訣は、自己利益や『自分らしさ』を追求したことではなくて、ある政治共同体の中で自分が果たすべき役割を演じたことです。そういう人たちが成功する。そういう人たちしか成功できないというのが、この社会の仕組みなんです」 (P233)

自己決定しない…。サッカーでは、「決定力不足」と批判されることの多い日本人選手。それと重なる。

また「自分らしさ」を追求したことがない人たちが、成功者としてのさばる日本社会…。そういう仕組みを我々の社会は持っているのである。

サッカー解説者のセルジオ越後さん日刊スポーツ(6月26日)より。 

「『自分たちのサッカーを』とよく言われていたけど、実力の違いがあるから、自分たちのサッカーができないのが現実でしょ。今回の3試合の日本代表がやっていたサッカーが、日本のサッカーなんだ。これがいまの実力なんだということを認識しないといけない。それができなければ、4年後も8年後もW杯で勝つことはできないよ」

自分たちのサッカー。確かに今大会で、よく耳にした言葉である。

でも結局、我々がまずやらなければいけないのは、サッカーやスポーツのときだけでなく、一般社会の日常生活の中で、「自己決定をすること」「自分らしさを追求すること」を繰り返していくということなのではないだろうか。

「自己決定をすること」
「自分らしさを追求すること」というちょっとポエムっぽい言葉に聞こえるかもしれないが、要は「システム・組織」に、自分という「個」を埋没させないということ。(
「システム・組織」

ここで、イビチャ・オシム氏の指摘も並べておきたい。『オシム 勝つ日本』(著・田村修一)より。

日本人は監督や主人、政治家たちの言葉を常に待っている。彼らに口答えしないし、指示を仰ぐことに慣れている。サッカーも同じ。相手に対して反応するだけだ。つまりアクションではなくリアクション。自分から仕掛けるのではなく、相手のアクションを待つ。ときにうまく対応できずに、しばしばゲームを失う」 (P357)

日本サッカーの惨敗。
これは我々の社会全体が抱えている問題と通じているのだと思う。

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