「特に日本人がそうなのかもしれませんが、『普通』になりたい人がとても多いのです」
きのうのブログ(8月22日)では、サッカーの岡田武史さんの「普通」という言葉をきっかけにして話を転がしてみた。
今回は、その「普通」について。
このあいだ、ジブリの新しい映画『思い出のマーニー』を観た。主人公の女の子、杏奈は七夕祭りの短冊に、こんな言葉を書いていた。
「普通に暮らせますように」
ときどき思うことがある。「普通」って何だろう・・・。
精神科医の泉谷閑示さんは、著書『「普通がいい」という病』で次のように書いている。
「クライアントにはじめてお会いしたいときに『どう変わりたくてここにいらしたのですか?』と尋ねますと、『普通になりたいです』と答える人がかなりいます」
「特に日本人がそうなのかもしれませんが、『普通』になりたい人がとても多いのです」 (P40)
普通になりたい…。
どうしても、かつて小沢一郎氏が提唱した「普通の国」という言葉を連想してしまう。今の安倍政権までずっと、この「普通の国」という呪文に縛られて政治が流れてきている気がする。
慶応大学教授の添谷芳秀さんは、編著『「普通の国」 日本』という本の中で、「普通の国」について次のように説明している。
「その認識に濃淡はあるものの、日本の『普通の国』化とは、日本が伝統的な意味での軍事力の役割に『目覚め』、究極的には憲法改正によって国際政治の舞台で軍事力を行使しようとするものであるとの解釈は広く行きわたっている」 (P4)
ということらしい。
同じく慶応大学教授の田所昌幸さんは、同著で次のように書く。
「戦後憲法は、日本がサンフランシスコ講和条約により公式に主権を回復した後も、日本をいわば保護観察状態に置くための制度装置であった。『普通ではない』日本とは、その産物なのである」 (P55)
「それでも1990年代以来、日本は少しずつ『普通』になってきたとは言えそうである。憲法第九条の制約の下で、明らかに日本の防衛政策は積極的になってきた」 (P57)
普通の国、普通でない国…。
憲法を改正し、積極的に防衛政策をすすめれば、本当に「普通の国」になれるのか。よく分からない。
同じ本の中で、シンガポール国立大学の研究員、ラム・ペン・アーさんは、次のように書いている。
「東南アジア諸国の目には、少なくとも冷戦後の日本の行動は十分『普通の国』として映っている」
「日本が『普通』であることは、国内よりも国外においてより容易に受容されているといえる」 (P255)
「普通」って何だろう…。
こんな指摘もある。
養老孟司さんは、JFN『学問のススメ』(7月6日放送)でこんなふうに話している。
「むしろ普通の人だから怖いんですよ。それをみんなが分かっていればいいと僕は思う。自分だって状況によっては何をするかわからない。神様がいる世界の国の良い点でも悪い点でもあるかもしれないけど、良いところっていうのは神様は見てますからね。日本ではそれがないんですよ。一人の神様は見張ってないからね(笑)そうすると状況が変わったときに普通の人はなにをするかわからないというのが、この社会の怖いところ」
やはり思う。
「普通」になること、「普通」を目指すことが、そんなにいいことなんだろうか、と。
そして、よく分からない「普通」というものを追い求め続けることは、実はとても怖いことなんではないか、と。
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