「いま信じられている『ふつう』は必ずしも絶対的なものではなく、それとはまったく異なった『ふつう』があり得るということ」
おとといのブログ(8月23日)では、「普通」について考えてみた。
今回も「普通って何だろう?」ってことについて考える言葉を並べてみたい。
障害学を教えていて、自身も視覚障害である倉本智明さんの著書『だれか、ふつうを教えてくれ!』から。
「どちらかが『ふつう』でどちらかが『ふつうでない』といった見方がなくなったとき、はじめてバリアフリーが社会のあらゆる領域に浸透するのかもしれません」 (P64)
「いま信じられている『ふつう』は必ずしも絶対的なものではなく、それとはまったく異なった『ふつう』があり得るということ」 (P64)
ポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボリスカさん。1996年のノーベル文学賞記念講演より。『「普通がいい」という病』(著・精神科医の泉谷閑示)から。
「一語一語の重みが語られる詩の言葉では、もはや平凡なもの、普通のものなど何もありません。どんな石だって、その上に浮かぶどんな雲だって。どんな昼であっても、その後に来るどんな夜であっても。そして、とりわけ、この世界の中に存在するということ、誰のものでもないその存在も。そのどれ一つを取っても、普通ではないのです」 (P40)
倉本さんとシンボリスカさんは、同じことを言っている。
こうした指摘を読んでいると、
「普通」なんてないのである。なのに「普通」を中心にして考えようしてしまう。これは「平均」を基準にした時の問題点にも通じている。(2013年5月22日と、5月28日のブログ)。
前回、日本の国内には「普通ではない国」という見方がある一方、国外からは「普通」に見られている、という指摘を紹介したが、この場合でも「普通であるとか」、「普通でない」とかの見方をしている限り、まわりの国との「障壁」(バリア)はなくならないのであろう。
見方によって、いろんな「普通」がある一方。時代、時代でも「普通」は変わる。
哲学者の鷲田清一さんの言葉。著書『パラレルな知性』より。
「ところが『普通列車』という言いまわしが普及しだしたころから、『普通』と『制限・限定・特別』との価値も反転しはじめた」 (P217)
かつては、「普通選挙」、普通教育」というように「普通」は有難いものだった。しかし、今では「普通列車」をはじめ、「普通乗用車」「普通預金」「普通の男」など、「普通」という言葉には「つまらないもの」というニュアンスが含まれてしまっている。
それなのに、日本には「普通の人になりたい」「普通の国になりたい」という言葉があふれている。
リリー・フランキーさんの小説『東京タワー』に出てきた文言を思い出す。
「東京にいると『必要』なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では『必要以上』のものを持って、初めて一般的な庶民であり、『必要過剰』な財を手にして初めて、豊かな者になる」 (P55)
このフレーズの「一般庶民」は、そのまま「普通」という言葉に置き換えられる。
みんな「普通になりたい」とは言いながらも、「必要以上」のものを手に入れようとしているのかもしれない。
こうやって、「普通」について考えているとよく分からなくなってくる。
きっと「“普通”を追い求める社会」は、「“本当の正しさ”があると信じられている社会」と同じもののような気がしてきた。(2013年5月15日のブログ)
みうらじゅんさんのこんな言葉も載せておきたい。著書『人生エロエロ』から。
「そして人間はさらに自分と他の生物の営みを区別するべく、『正常位』という驕り高ぶった言葉も生み出した。一体、何をもってそれを“正常”と呼ぶのだろうか?他の生物を敵に回してまでも言い張る根拠は何だ?」 (P54)
もしかしたら「本当の“普通”がある」、「本当の“正しい”ものがある」と考えること自体が、驕りなのかもしれない。
やはり、我々がすべきなのは、いろんな「普通」やいろんな「正しさ」をすり合わせていくプロセスを大切にすること。それしかないのではないか。(7月19日のブログ)
最後に、こんな言葉を載せておきたい。新海誠さんの小説『言の葉の庭』で、主人公である女性教師・雪野百香里が口にした言葉から。
「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」 (P58)
« 「特に日本人がそうなのかもしれませんが、『普通』になりたい人がとても多いのです」 | トップページ | 「普通イコール正しい、とはかぎりません」 »
「★「普通」って何!?」カテゴリの記事
- 「普通イコール正しい、とはかぎりません」(2014.08.28)
- 「いま信じられている『ふつう』は必ずしも絶対的なものではなく、それとはまったく異なった『ふつう』があり得るということ」(2014.08.25)
- 「特に日本人がそうなのかもしれませんが、『普通』になりたい人がとても多いのです」 (2014.08.23)
- 「日本人は空気に流される。残念ながらメディアはそれを抑える安全弁として機能していなかった」(2014.08.22)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「特に日本人がそうなのかもしれませんが、『普通』になりたい人がとても多いのです」 | トップページ | 「普通イコール正しい、とはかぎりません」 »
コメント