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2014年8月25日 (月)

「いま信じられている『ふつう』は必ずしも絶対的なものではなく、それとはまったく異なった『ふつう』があり得るということ」

おとといのブログ(8月23日)では、「普通」について考えてみた。

今回も
「普通って何だろう?」ってことについて考える言葉を並べてみたい。

障害学を教えていて、自身も視覚障害である倉本智明さん著書『だれか、ふつうを教えてくれ!』から。

「どちらかが『ふつう』でどちらかが『ふつうでない』といった見方がなくなったとき、はじめてバリアフリーが社会のあらゆる領域に浸透するのかもしれません」 (P64)

「いま信じられている『ふつう』は必ずしも絶対的なものではなく、それとはまったく異なった『ふつう』があり得るということ」 (P64)

ポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボリスカさん。1996年のノーベル文学賞記念講演より。『「普通がいい」という病』(著・精神科医の泉谷閑示)から。

「一語一語の重みが語られる詩の言葉では、もはや平凡なもの、普通のものなど何もありません。どんな石だって、その上に浮かぶどんな雲だって。どんな昼であっても、その後に来るどんな夜であっても。そして、とりわけ、この世界の中に存在するということ、誰のものでもないその存在も。そのどれ一つを取っても、普通ではないのです」 (P40)

倉本さんとシンボリスカさんは、同じことを言っている。

こうした指摘を読んでいると、
「普通」なんてないのである。なのに「普通」を中心にして考えようしてしまう。これは「平均」を基準にした時の問題点にも通じている。(2013年5月22日と、5月28日のブログ)。

前回、日本の国内には「普通ではない国」という見方がある一方、国外からは「普通」に見られている、という指摘を紹介したが、この場合でも「普通であるとか」、「普通でない」とかの見方をしている限り、まわりの国との「障壁」(バリア)はなくならないのであろう。

見方によって、いろんな「普通」がある一方。時代、時代でも「普通」は変わる。

哲学者の鷲田清一さんの言葉。著書『パラレルな知性』より。

「ところが『普通列車』という言いまわしが普及しだしたころから、『普通』と『制限・限定・特別』との価値も反転しはじめた」 (P217)

かつては、「普通選挙」、普通教育」というように「普通」は有難いものだった。しかし、今では「普通列車」をはじめ、「普通乗用車」「普通預金」「普通の男」など、「普通」という言葉には「つまらないもの」というニュアンスが含まれてしまっている。

それなのに、日本には「普通の人になりたい」「普通の国になりたい」という言葉があふれている。

リリー・フランキーさん小説『東京タワー』に出てきた文言を思い出す。

「東京にいると『必要』なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では『必要以上』のものを持って、初めて一般的な庶民であり、『必要過剰』な財を手にして初めて、豊かな者になる」 (P55)

このフレーズの「一般庶民」は、そのまま「普通」という言葉に置き換えられる。

みんな「普通になりたい」とは言いながらも、「必要以上」のものを手に入れようとしているのかもしれない。


こうやって、「普通」について考えているとよく分からなくなってくる。

きっと「“普通”を追い求める社会」は、「“本当の正しさ”があると信じられている社会」と同じもののような気がしてきた。(2013年5月15日のブログ

みうらじゅんさんのこんな言葉も載せておきたい。著書『人生エロエロ』から。

そして人間はさらに自分と他の生物の営みを区別するべく、『正常位』という驕り高ぶった言葉も生み出した。一体、何をもってそれを“正常”と呼ぶのだろうか?他の生物を敵に回してまでも言い張る根拠は何だ?」 (P54)

もしかしたら「本当の“普通”がある」、「本当の“正しい”ものがある」と考えること自体が、驕りなのかもしれない。

やはり、我々がすべきなのは、いろんな「普通」やいろんな「正しさ」をすり合わせていくプロセスを大切にすること。それしかないのではないか。(7月19日のブログ

最後に、こんな言葉を載せておきたい。新海誠さん小説『言の葉の庭』で、主人公である女性教師・雪野百香里が口にした言葉から。

「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」 (P58)


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