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2014年9月24日 (水)

「そういう予測的な社会は、自分がやった瞬間にデータになる。そのデータになった自分の行動がさらに未来予測の一部に貢献されていくわけ。自分の行動が情報化され、データ化される中でしか生きられない」

きのうのブログ(9月23日)の続き。「予測社会」について。

サッカーのW杯ブラジル大会で優勝したドイツ・チームはSAPという会社と契約し、膨大なデータを基にしたサッカーで世界を制した。

そのSAPジャパンという会社の馬場渉さんは、次のように語っている。サイト『ダイヤモンド・オンライン』(7月14日) より。

「メジャーなスポーツではほぼすべて、リアルタイムデータが採れるようになってきた。これからは、データ分析が導く“未来予測”を監督やコーチが駆使する時代が来る」

今後は、更にデータ分析による「未来予測」が主導するサッカーがさらに広がってくのかもしれない。

そういうサッカーでは、選手たちのひらめきや感性も、データとして予測に組み込まれていく。そしてデータが自分たちを囲んで狭めていく。

前回のブログでも書いたが、それはサッカーだけの話ではない。我々の社会を映し出しているに過ぎない。

今福龍太さんの「予測社会」についてのさらなる言葉。ビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。

「自分で自分をしばっている。そういう予測的な社会は、自分がやった瞬間にデータになる。そのデータになった自分の行動がさらに未来予測の一部に貢献されていくわけ。自分の行動が情報化され、データ化される中でしか生きられない。自分をデータにしないという切断の意思が重要」 (パート2 53分ごろ)

コラムニストの堀井憲一郎さん著書『やさしさをまとった殲滅の時代』より。

「社会システムは、より整い、より精練された。小さい商店は押しつぶされていった。すべて、中央でコントロールできるチェーン店ばかりになっていく。そのほうが、人々の欲望をトレースしやすいからである。欲望はすでに予測されている。僕たちはもう、導かれるままに消費すればいいのである」 (P189)

劇作家の平田オリザさん著書『新しい広場をつくる』より。

「たとえば、郊外のショッピングセンターにある大規模書店に行ってみるといい。どこの書店も同じような品揃え、同じ本の並びになっている。POSシステムによって全国の売れ筋の書籍が即座に分かり、そのデータに応じて本を並べて替えていく。すでに私たちは、市場原理によって思想を統制されているのだと言えばいいすぎだろうか」 (P27)

コラムニストの山田五郎さんTBSラジオ『デイキャッチ』(6月12日放送)より。

「データ分析で確実に売れる商品ばかりが作られるようになっていく。ある意味、ビッグデータ・ファシズムのような状況がどんどん進んでいく」

人の欲望や意思より、データによる予測が優先される世の中。逆に不安や閉塞感はますます強まっていくのではないだろうか。

しかしデータはデータでしかない。その通りの「未来」はやってこない。

宮城県気仙沼市。東日本大震災の前、過去のデータから防災マップ制作を主導した気仙沼市危機管理課長(当時)の佐藤健一さん。想定を超えた被害を受け、次のように語っている。NHK『明日へ~杉ノ下高台の戒め』より。

「防災も、科学的なものが必要だというふうに私は思っていました。しかしながら、よく考えると、たかだか100年くらいのいろんなデータをもって、人間が少しわかったつもりになっていたということ自体がちょっと違うんだろうと。もう少し謙虚になって、自然というものはよく分からないと。分からない中で分かっている範囲は『ここなんだ』とかいうことで、『どうしたらいいんだ?』っていうことをもう一度考え直すっていう姿勢が必要なんだと思います」

この言葉は、我々のリスクに対する考え方全般に当てはまると思う。

改めて山田五郎さんの言葉。TBSラジオ『デイキャッチ』(6月12日放送)より。

「僕自身が気付いていない新しい出会いのようなものはそこでは期待できない。予想外の裏切りはなくなってくる。“外れ”というものもなくなってくる。これはどうなんだろう。新しものを作るときには予想外という部分がないとダメ。今現在では『それは正解じゃないよ』という部分がないとダメだろう。やっぱり外れがないと当たりも出てこないと思う」

「社会全体でも、みんなが最大公約数的なところで生きていかないといけない状態では、新しいものが生まれてこない。結局、社会が衰退していく気がする」


データ社会、ビッグデータ・ファシズム、そして予測社会。それにがんじがらめにされるなか、ただ衰退を待つしかないのか。では、我々はどう振る舞うべきか。

お天気キャスターの森田正光さんの言葉に少しヒントがあるような気がする。著書『「役に立たない」と思う本こそ買え』より。

「人間しかできない仕事がある。それは『判断』だ。コンピューターの予測データをどうのように使うか、本当に使っていいのか、責任を持って判断する。こればかりは人間にしかできない。コンピューターが今後どれだけ発達しても、最後まで『判断』という仕事が人間に残ると思う」 (P58)

最後に、作家の橘玲さんの言葉。著書『大震災の後で人生について語るということ』より。

「未来は、不確実で、世界はかりぎなく残酷です。明日は今日の延長ではなく、終わりなく続くはずの日常もふいに失われてしまいます。しかしそれでも私たちは、そこになんらかの希望を見つけて生きていかなければならないのです」 (P5)

もう少しだけ、「予測社会」についての言葉を続けて紹介してみたい。




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