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2014年9月 5日 (金)

「ヤンキー的な人々というのは、感性を肯定するために知性を批判するんですよね。『考えるな、感じろ』とばかりに」

今回も「反知性主義」について。きのうのブログ(9月4日)の続き。

この反知性主義が広がっていることについて、社会学者の竹内洋さんは、次のように指摘する。朝日新聞(2月19日)より。

「大衆社会化が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』をあおるものだからだ」

「橋下市長は学者たちを『本を読んでいるだけの、現場を知らない役立たず』と口汚くののしった。ヘイトスピーチだったと思うが、有権者にはアピールした」


政治の世界でも、「知性」を排除し、「感情」だけによる判断が基準になっていく。(1月21日のブログ

また、きのうのブログでは、反知性主義の特徴として、知性を求める人たちや行為を「軽蔑の対象」にして、さらには「憤りと疑惑」の対象にする、という指摘を取り上げた。

これは、大阪の橋下徹市長による学者やメディアへの批判の一連の言説を見ると分かりやすい。

「学者の皆さんには机上で頭の中で理屈をこねるだけではなく、現場の人の営み、組織のあり様も体験してもらいたいものです」 (ツイッター2011年2月24日

「現実の政治・行政は学者の評論やコメンテーターの意見と違う。実行しなければならない」 (ツイッター2012年2月2日

「学者論議で困ったものは、市井の市民の暮らし、現実の経済、政策実現プロセスを知らないことだ」 (ツイッター2012年4月30日

「現場を経験したことのない学者の意見は放っておいて、教育に真に携わってきた教育論者の声を聞くべきだ」 (ツイッター2012年8月3日


もちろん、現場を知っていないより知っていた方がいい。でも、あまり知らないからと言って、「知」を扱う者を全否定する言動はどうかと思う。

僕は、「反知性主義の広がり」と、「社会のヤンキー化」というのは実は同義なのでないかと思っている。

精神科医の斎藤環さんが「ヤンキー」について語った次の指摘を読むと分かりやすい。著書『ヤンキー化する日本』より。

「当たり前だが、彼らはけっして知的水準に問題があるわけではない。しかし、知性より感情を、所有よりも関係を、理論よりも現場を、分析よりも行動を重んずるという共通の特徴ゆえに、知性への決定的な不信から抜け出すことができないのだ」 (P48)

「私の本でもヤンキーの特徴の例として、熟慮を嫌う、理屈を嫌う、反知性主義の傾向が強い、ということを挙げていまして、橋下さんはヤンキー文化の可能性と限界を見極めるうえでの重要なメルクマール(指標)になり得ると書いているんです」 (P89)

「ヤンキーに知性があってはいけない理由はないんですけど、ヤンキー的な人々というのは、感性を肯定するために知性を批判するんですよね。『考えるな、感じろ』とばかりに」 P146)

感性を肯定するために、知性を批判する…。

もはや、本を読んだりして考えることは悪という感じ。それより、Believe your 鳥肌」P42)なのである。(2013年4月12日のブログ

「感性の肯定」と「知性の批判」とは、すなわち考えないこと。思考停止ということなのである。

最後に、この言葉を載せておく。お天気キャスターの森田正光さん著書『「役に立たない」と思う本こそ買え』より。

「思考停止はとてもラクで心地いい。『考える』という面倒なことをやめてしまうわけだから。だがそれがファシズムにつながることもあるのだ、ということを覚えておきたい」 (P81)


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