「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた」
改めて「お笑い」についての言葉。前々回のブログ(8月29日)の続き。
前々回のブログで、ロシアの道化師ラザレンコの話をした。そのあと雑誌を読んでいたら、映画評論家の町山智浩さんが、ロビン・ウイリアムズさんについて「道化師」という言葉を使って次のように書いていた。雑誌『週刊文春』(9月4日号)の「言霊USA」より。
「『ティアズ・オブ・クラウン(道化師の涙)』という言葉が昔からある。悲しい人ほど笑いに救いを求め、それを人々にも与えようとするのかもしれない」
(P76)
これも「お笑い」の本質なんだと思う。
だからこそ、レイヤー(層)のある、つまり深みのある「笑い」が生まれる。またレイヤーや深みがあってこそ、その間に「批判」「批評」「風刺」というものを入れ込んだりできるのではないか。
社会学者の鈴木謙介さんの言葉。読売新聞7月28日より。
「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた。自由な発言が認められた現在のネット環境で、広く共有されることばかりが追い求められ、批判力が失われているのだとすればそれこそ皮肉だ」
これは、最近のネット上で行われているパロディーについての指摘だけど、「お笑い」全般にも、そのまま当てはまると思う。
あくまでも個人的な希望だが、「お笑い」の役割は、内輪の調停者ではなく、やはり批判力を持って、新しい見方を提供すること。そうあってほしい。
« 「自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとうしい。なので、その人たちを攻撃してしまう」 | トップページ | 「知性を求める態度は軽蔑の対象になります。理屈をこねくり回して何もしない人間だとバカにされます」 »
「★批評&批判の大切さ」カテゴリの記事
- 「メディアが権力に介入されて押しつぶされてしまうと、我々は押しつぶされているということすら分からなくなる」(2014.12.13)
- 「ドイツ人は、自分たちの社会を批判して元気になっている。脳が最高に働き、議論を交わす喜びがあるから。そのうれしさを日本の人々にも味わってほしい」(2014.12.12)
- 「批判されることが全くなかったら、進歩などありえるはずがない。自分がいいのかどうかすら、知ることができない」(2014.12.11)
- 「知性を求める態度は軽蔑の対象になります。理屈をこねくり回して何もしない人間だとバカにされます」(2014.09.04)
- 「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた」(2014.09.03)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとうしい。なので、その人たちを攻撃してしまう」 | トップページ | 「知性を求める態度は軽蔑の対象になります。理屈をこねくり回して何もしない人間だとバカにされます」 »
コメント