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2014年9月 3日 (水)

「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた」

改めて「お笑い」についての言葉。前々回のブログ(8月29日)の続き。

前々回のブログで、ロシアの道化師ラザレンコの話をした。そのあと雑誌を読んでいたら、映画評論家の町山智浩さんが、ロビン・ウイリアムズさんについて「道化師」という言葉を使って次のように書いていた。雑誌『週刊文春』(9月4日号)の「言霊USA」より。

「『ティアズ・オブ・クラウン(道化師の涙)』という言葉が昔からある。悲しい人ほど笑いに救いを求め、それを人々にも与えようとするのかもしれない」 (P76)


これも「お笑い」の本質なんだと思う。

だからこそ、レイヤー(層)のある、つまり深みのある「笑い」が生まれる。またレイヤーや深みがあってこそ、その間に「批判」「批評」「風刺」というものを入れ込んだりできるのではないか。


社会学者の鈴木謙介さんの言葉。読売新聞7月28日より。

「本来、政治的な風刺やパロディーというものは、直接的に権力を批判できない環境の中で力を発揮し、人々に新しい見方を提供する役割を果たしてきた。自由な発言が認められた現在のネット環境で、広く共有されることばかりが追い求められ、批判力が失われているのだとすればそれこそ皮肉だ」

これは、最近のネット上で行われているパロディーについての指摘だけど、「お笑い」全般にも、そのまま当てはまると思う。


あくまでも個人的な希望だが、「お笑い」の役割は、内輪の調停者ではなく、やはり批判力を持って、新しい見方を提供すること。そうあってほしい。

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