「サッカーはスタジアムだけで完結していない。その社会の持つ空気を正確に映しだす」
今回も「予測社会」について。前回(9月19日)の続き。
文芸評論家の陣野俊史さんが書いた著書『サッカーと人種差別』を読んでいて、「ゼノフォビア」(P187)という言葉を初めて知った。
ゼノフォビアとは、「外国人嫌悪」や「外国人恐怖症」を意味する言葉。
さらに辞書で調べてみると、上記のほかに「未知の人・物に対する嫌悪・恐怖」という意味もある。
つまり「外国人に対する嫌悪」の根っこには、「未知なものに対する恐怖」があるということなのだろう。
ヘイトスピーチや嫌韓・嫌中などの外国人排斥の動きが先鋭化する日本社会。
その背景には、何が起こるか分からない未来を「予測」で埋めていき、安心を手に入れる社会の広がりがあるのかもしれない。「予測社会」の代償として、未知なもの、理解しにくいものに対する嫌悪や不安はますます増えていく。
それがサッカーの世界で表出したのが浦和レッズの横断幕問題などなど。
上記の陣野さんの本にも、次のような言葉が書かれている。
「サッカーはスタジアムだけで完結していない。その社会の持つ空気を正確に映しだす」 (P19)
「スタジアムの中が特殊なのではない。人種差別的言葉の応酬が起こる背景には、その言葉が普通に使われる社会が存在する。社会の中で人種差別的言葉が横行しているからこそ、普通にスタジアムの中でも用いられている」 (P143)
一般社会における「予測社会」の広がりと、サッカーの世界も無縁ではいられない。どうもサッカーの質そのものにも影響を与えている。
ブラジルに詳しい文化人類学者の今福龍太さんは、W杯の日本代表チームについて、次のように指摘する。ビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。
「サッカーにしても勝利に対する抑圧とか、未来に対する恐怖とか。日本サッカーを見ていて、結局は失点への恐怖。これが決定的にある。いつか点を失うんじゃないかという、それだけで90分やっている。これは快楽的なものとは程遠いサッカーである。恐れのみによって成立しているサッカー」 (パート2 28分ごろ)
恐れによってのみ成立するサッカー…。
選手の一つひとつのプレイにも「未来に対する恐怖」が顔を出す。
元代表監督のイビツァ・オシム氏は、日本チームの特徴として次のことを挙げていた。著書『信じよ!』より。
「いざ試合が始まり、実は相手チームが、それほど自分たちを上回ったテクニックやスピードや組織力、個人技を持っているわけでもなく、互角の試合ができていることに気づくと、今度は、その状況に驚き、対応できず、実力を発揮できない」 (P130)
事前に予測された相手チームと、実際の実力が違ったとき、選手たちは対応できない、という指摘。
ブラジル大会の後、遠藤保仁選手も次のように語る。雑誌『NUMBER』(9月18日号)より。
「チームがうまくいかない時に、どう戦うのかというアイデアが、僕たちにはまだまだ足りなかったと思います」 (P52)
Jリーグのチェアマン、村井満氏の指摘。朝日新聞(7月5日)より。
「想定しない事象が起きたときに、柔軟に対応できる力の重要性を感じた」
日本のサッカーは、なかなか「予測」から切りかえず、それ以外の状況に対応できない。
「未来に対する恐怖」から、リスクを避け、とにかく負けないサッカーを進めてしまう。結果、臨機応変さや柔軟な対応力が育たない。
まるで日本社会そのもの…。敗戦、原発事故、企業のコンプライアンスなどなど。
さらに今福龍太さんは次のように語る。ビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。
「本来なら、瞬間瞬間のプレーにある、トリッキーな所とか、ありえないようなものとか、奇跡とか、そこに快楽を感じているはず。なのに試合が終わってどっちかが勝ったとなった瞬間に、勝利したという結果そのものに快楽が横滑りして、そっちに一番の快楽を感じてしまう。そうなると、どんどん快楽というものが、利便性とか、おカネとか、勝利とかに奪い去られる」 (パート2 16分ごろ)
今福さんの言うように、本来、サッカーの魅力とは、我々の予測や想像を超えたプレイにこそあるのだと思う。我々の社会だってそうだ。
日本という社会が、日本のサッカーが、「ゼノフォビア」を克服していくためには、やなり「多様性」を進めていくしかないと思う。これはこのブログで何度も書いてきたこと。(「多様性」)
最後に、ドラガン・ストイコビッチ氏の言葉。『誇り』(著・木村元彦)より。
「思い通りにゆかないもの。それが人生だ」 (P199)
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