「考えない人間が増えている背景には、都市化ということがある」
今回も「予測社会」について。きのうのブログ(9月18日)の続き。
予測社会。
このことを考えていて思い出したのが養老孟司さん。改めて、その本を読み直してみた。
養老さんは、「予測社会」の風潮を「ああすれば、こうなる」という表現を使って一貫して批評し続けてきた。
「現代の考え方は、『ああすれば、こうなる』である」 『まともな人』(P65)
そして「予測社会」が進んでいく状況を、「都市化」や「脳化」と呼ぶ。
「僕は以前からそれを『脳化社会』と呼んでいます。身体で感じることよりも、脳で考えることが世界だと思うのが現代人で、脳化というのは都市化にともなう現象です」 『江戸の知恵』(P28)
「都市化とは、意識化である。計算であり、『ああすれば、こうなる』なのである。さらには一般化、普遍化、透明化である。そこでは人間を構成するもう一つの重大な要素、『無意識』は勘定に入っていない」 『「都市主義」の限界』(P16)
前回のブログで、「日本の社会は“未来”を不安なものとして捉え、予測や情報で埋めて安心する」という指摘を紹介した。
養老さんは、次のように書く。著書『「都市主義」の限界』より。
「都会人は未来を信じることをやめる人たちである。すべてを意識化し、計算するからである。意識化された未来は、もはや未来ではない。それは現在なのである」 (P89)
「なぜ、人間が都市を人工物で満たすかというと、一つには安心を得るためである。人口のものは、物質に限らず、社会のシステムにしても、すべて人間の脳のなかにあったもので、人間であれば、少なくとも表面的には理解し、予測、推測できる。これが安心につながることはお分かりいただけるだろう」 (P106)
つまり、何が起こるか分からない“未来”を、全て“現在”の情報で埋めようとする。そして“安心”を手に入れる。こういうことなのである。
その結果、どうなるか。
「考えない人間が増えている背景には、都市化ということがある」 (P106)
都市化された社会、すなわち「予測社会」では、人びとは考えることをやめてしまう。
話は飛ぶが、
都市化が進むことと、冒険する場所がなくなったことは同時進行に起こる。
もしかしたら、それの進行は、地図上だけでなく、人間の心のなかにも起きていることなのかもしれない。
探検家の角幡唯介さんの言葉。著書『地図のない場所で眠りたい』より。
「探検は、人の予想できなことをやるのだ」
また角幡さんは、サイト『FAUST』(2011年10月6日)のインタビューで次のように語っている。
「先がどうなっているのか分からない場所へ行くこと。昔であれば、地図がないところへ行くのが探検だったわけですから、これはすごく冒険的。現場での試行錯誤があって、先が見えないから色々な面で逡巡する」
「この先どうなるか分からない状況に身を置きたい。場所が未知であればあるほど、自分を取り巻く状況が不確かになっていく。都市生活では感じないリスクがある。そのリスクによって照らし出される生の感覚を感じたい」
予想できなことに魅力を感じなくなったから、人は冒険をしなくなった。そう言えるのかもしれない。
一方で、「“予測社会”が広がることで、安心が手に入れば、それでいい」という考え方もあるだろう。でも、そう簡単な状況でもない。
マキタスポーツで知られる芸人の槙田雄司さんに、こんな指摘がある。著書『一億ツッコミ時代』より。
「『理不尽』に向かい合うこと、『制御できないもの』に向かい合うことに、今の文明人は慣れていません。みんな、自分の手でコントロールできるものだと思い込んでいる。今の若い人、特に都会で生活している人は、理不尽なものに触れる機会が減っています」 (P155)
「理不尽なものに接する機会が減ってくると、今度は逆にイライラしることが増えていくということです。『思い通りになること』が増えていけば増えていくほど、思うようにならないことに出合うとストレスがたまっていく自分がいることに気づきました。負荷がかかっていないことに慣れすぎてしまうと、少し理不尽な目に遭っただけで大きなストレスを抱えるようになるのです」 (P160)
予測できないことに触れ合う機会が減る結果、全てをコントロールできると思う。その結果、イライラがたまる。
茂木健一郎さんの言葉。自身のツイッター(2月8日)より。(2月8日のブログ)
「偶有性が苦手である、という人は、自分がコントロールできないこともコントロールしようとする傾向があるように思う。だからイライラする。ストレスがたまる」
イライラした結果、コントロールできな人たち、すなわち自分と違った行動をとる人たちを排除しよとする。
我々は「安心」を手に入れた結果、いろんなものを失っているに違いない。
もうしばらく「予測社会」について続けたい。
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