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2014年10月 1日 (水)

「生物も個人も、先を見通すことはできない。できるのはせいぜい、いまあるものを利用したり、改良したりすること。そうして生き延びてゆくことなんです」

今回も「予測社会」を。ただ少しだけ予定を変えて、御嶽山噴火について。

御嶽山が噴火した。小さい頃、冬になると実家のある街から眺めることのできた真っ白な山姿を思い出す。

菅義偉・官房長官は記者会見で次のように述べている。読売新聞(9月28日)より。

「予知が可能となるよう様々な予算措置をして取り組んでいく必要がある」

その火山や噴火の予知について、北海道大学名誉教授の宇井忠英さんは次のように述べる。朝日新聞(9月29日)より。

「観測態勢の充実は理想だが、一足飛びにはいかない。予知の難しさ、被害の縮小に生かす難しさを、目の当たりにした」

そして火山噴火予知連絡会の会長、藤井敏嗣氏は次のように語る。朝日新聞(9月29日)より。

「予知は難しい。警戒レベルがあるからといって100%予知できるとは考えないで欲しい」

 火山や地震の予知は、現実問題としてどこまで可能なのか。ここにもなるべく「予測」して安心していたい、という現代の人びとの欲望が顔を出す。

養老孟司さんは、著書『カミとヒトとの解剖学』で次のように書く。

「しかし、自然とは、雲仙や大島の噴火に見られるように、不測の事態がつねに生じるものである。自然が予測できず、ゆえに統御できないために、われわれの祖先はあるとき、すべてが予測でき、それゆえにすべてが統御できる空間を作ろうと決意した。それが都市の発生である」 (P175)

養老さんは、著書『臨床哲学』でも次のように書く。

「予測と統御が可能なものとしての社会は、そうした自然を排除することによって、成立する。なぜなら、完全な予測はできず、統御できないものが、社会のなかに現れることは、社会の根本の原理に反するからである。そこで起こるできごとの予測と統御が可能なものとしての空間が、都市空間であり、とくにそこでは、自然性が強く排除される」 (P178)

東日本大震災はもちろん、今年になっても広島の土砂災害、御嶽山の噴火など、日本列島では自然災害が次々と続く。

社会は、「予測」できない自然に対する「不安」に満たされ、反動によって養老さんのいう「都市化」を進めようとするのかもしれない。さらに「予測社会」が進む。

分子生物学者の福岡伸一さん著書『動的平衡ダイアローグ』から。

「生物も個人も、先を見通すことはできない。できるのはせいぜい、いまあるものを利用したり、改良したりすること。そうして生き延びてゆくことなんです」 P159)

災害から身を守る、ということは、自然に対する「予知」「予測」に頼ることより、目の前にあるものを利用・改良して準備しておく、ということなんだと思う。

 

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