「そしてこの役に立たない設計図から生じるリスクが、日本人の行動を規定しています。皮肉なことに、私たちはリスクを避けようとして、そのことで逆にリスクを極大化させ、それが不安の源泉になっているのです」
「予測社会」その10。
以前、「目の前」というものについて考えた。(「目の前」)
先日、政治学者の岡田憲治さんとコラムニストの小田嶋隆さんの共著『「踊り場」日本論』を読んでいたら、スポーツについての、岡田憲治さんのこんな言葉が印象的だった。
「あれこれ言いましたけど、僕がスポーツを愛するのはね、基本は目の前で起こってることをきちんとつかまえて、その瞬間だけは自分の国籍だとか民族だとか、贔屓だとか応援だとかを超えて、その地平の向こう側にあるものにふれた喜びみたいなものをちゃんと表現して、共有することなんですよ」 (P242)
とてもいい言葉…。
この「目の前」と、「予測社会」に関連する言葉を。
ドキュメンタリー監督の想田和弘さんの言葉。著書『熱狂なきファシズム』より。
「目の前の生きた現実は、予測がつかない方向に展開していく。それをとらえていくという意味では、野球の打者に似ている。打者は、投手が投げる球を予測しすぎても、全く予測しなくても、バットでうまくとらえられない。予想しながらも、予想外の球に対して身体を開いておかなければならない。そこで結局一番肝心なのは、『球をよく観る』ことである。撮影でも、全く同じことがいえる。被写体やその周りをよく観て、カメラを回す」 (P142)
この指摘は、我々の「予測」というものとの付き合い方を言い当ててるかもしれない。
でも我々には、「目の前」で起きることよりも、頭の中で考えた「予測」を優先させる傾向がある。その傾向について、想田さんは「台本至上主義」という言葉を使って説明する。
「ドキュメンタリー作りは、どこへ行くのか分からないのが面白いのであり、それを前もって分かろうとした瞬間、魅力は失われてしまう」
「そしてそれはたぶん多かれ少なかれ、実はあらゆる分野でいえることなのではないか。例えば、『先に有罪ありき』の司法制度、『先に点数ありき』の教育制度、『先にコスト削減ありき』の医療・福祉制度改革などは、予め決められた到着点にこだわるあまり、営みそのものの本義を見失ってしまった現象の典型であろう。目に見える成果を出そうともがけばもがくほど、成果からむしろ遠ざかってしまう」 (P132)
どこへ行くのか分からないから面白い・・・。
これについては人生だって、一緒。(5月16日のブログ)
当然、この「台本至上主義」や「予測社会」というのは原発政策にも及んでいる。
「台本至上主義は、ドキュメンタリー界だけではなく、人間界全般を広く浸蝕しています。例えば日本政府や産業界は『原発は絶対に安全だ』という台本を採用し、狭い地震国に50基以上の原発を建ててきたわけです。その台本の正しさを主張するために、都合の良いデータや学者ばかりを集めて、逆に都合の悪い現実はすべて無視してきたわけでしょう。だから知らない間に台本と現実が物凄く乖離してしまったわけです」 (P106)
「思えば、原発事故そのものも、『原発は絶対に安全である』という結論先にありきの台本を優先し、それに合うデータや専門家の意見ばかりを都合よく集め、現実を虚心坦懐に観ることを怠ってきたがために、起きつつある惨劇だといえよう」 (P162)
まさに「原発神話」の台本は、「目の前」を見つめて書かれたものではなく、頭の中で組み立てた「希望的観測」に基づいて書かれた、ということでもある。
この「神話」というものこそ、実は希望的観測という「未来予測」なのではないか。
作家の橘玲さんは、戦後日本を支えてきた「神話」として、不動産神話、会社神話、円神話、国家神話を挙げる。そして著書『大震災の後で人生について語るということ』で次のように書く。
「私たちは、いまだに“神話なき時代”の人生設計を見つけることができず、朽ちかけて染みだらけの設計図にしがみついています。そしてこの役に立たない設計図から生じるリスクが、日本人の行動を規定しています。皮肉なことに、私たちはリスクを避けようとして、そのことで逆にリスクを極大化させ、それが不安の源泉になっているのです」 (P5)
それでも「設計図」を探す私たち…。
社会学者の宮台真司さん。ビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。
「世界というのは自分たちと思っているものと違うはずだ。人間はどうせ小さいし、浅ましい存在である。そういう世界に対する敬意がないから、僕たちが想定している枠の中で、社会が収まってくれることを幸福とか、達成とか勘違いするのでは」
スポーツも、原発も、そして人生も、「目の前」で起きていることに敬意を払い、虚心坦懐に見つめる。そして「未来」に向けて、「目の前」のものを少しずつ改良していくしかないのではないか。
何度か印象しているが、今回も分子生物学者の福岡伸一さんの言葉を改めて。著書『動的平衡ダイアローグ』から。
「生物も個人も、先を見通すことはできない。できるのはせいぜい、いまあるものを利用したり、改良したりすること。そうして生き延びてゆくことなんです」 (P159)
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