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2014年10月 9日 (木)

「世の中はいま、反省検証もそこそこに、先に向かっていきそうなムードにある」


「予測社会」その9
。きのうのメディアについての話の続き。


サッカーのW杯についての報道。
プレビューを、レビューより大きく扱う日本のメディア。ということは、当然ながら「敗戦」について語られる時間も少なくなる。

サッカーライターの杉山茂樹さんの次の指摘。著書『崩壊以後』より。

「僕がいま一番言いたいのは、負けをしっかり受け入れることだ。そこから目を逸らさず、大真面目に反省する。新監督を決める前にすることは、実はたくさんある」 (P267)

「この結果は、屈辱に他ならないのだ。表現方法はどうあれ、いまこの時期は、敗戦をそれぞれの方法で受け止めるべき時だ。なぜこんな結果に終わってしまったのか。同じ過ちを繰り返さないためにはどうすべきか。サッカーにかかわっているすべての人が頭を冷やしていかなければならい」 (P182)

「真実のほどは定かではないが、世の中はいま、反省検証もそこそこに、先に向かっていきそうなムードにある。協会にとっては、歓迎すべき方向に進んでいる」 (P182)

サッカーのW杯ブラジル大会。ザック・ジャパンの結果は完全な惨敗だった。

しかし惨敗しても、協会もメディアもサポーターも、反省や検証をほとんどやることなく、責任を問う声もなく、ただちに次の監督への期待をクローズアップさせて、次への期待で盛り上がる。そして、新しいアギーレ・ジャパンの予測であふれる。

改めて、精神科医の名越康文さんの指摘。MBSラジオ『辺境ラジオ』(7月30日放送)から。(8月22日のブログ

「日本の戦争責任を考える前に、敗戦責任をきっちり考える。なぜあの戦争に負けたのかをきっちり検証しなければ、戦争責任までいかない。戦争が正しい、間違っているというのではなく、なぜあの戦争に負けたのかを検証していない、という指摘には全くもって納得した」

「同じことがある。なぜW杯の前にあれだけ盛り上がってしまったのか…。日本、本当にこのパターンが多い。実はW杯と戦争は対だと思う。いま反省しておいたら、傷が浅く日本の病巣を取り出すことができるのにやらない」


これら指摘を、どう考えたら、いいのか。

実は、「予測社会」というものと、白井聡さんの説く「永続敗戦」とは、実は表裏一体なのだと気づく。(7月15日のブログ

「予測、予測、予測」であふれる社会は、「敗戦」をすぐに忘れる。なかったことにする。敗戦を見つめ、反省して、振り返っているよりも、それをなかったことにして、次の予測や希望的観測に目を向け、酔いしれる。この方が「ラク」だし、「不安」から目を逸らすことができる。

また養老孟司さんらが指摘するように「予測」とは、「未来」を「現在」で埋めていくことということ。(10月6日のブログ)。「現在」が変わらずにずっと続いてくれる方が、「予測」は当然容易になる。だからこそ「予測社会」には、できれば現状維持を続けたいという欲求がついてくる。

まさに國體護持。「永続敗戦」の構図である。これはサッカーも、あの戦争でも同じ。

本来なら、予測ではなく、冷静な現状分析を重ねることで、失敗やリスクを回避しようとする。それでも、失敗してしまったときは、2度と繰り返さないように、その「敗戦」を反省し分析する。これを繰り返すことが大事。そのためには、「敗戦」を絶対悪としないことが必要なのかもしれない。

こちらも杉山茂樹さんの指摘。著書『崩壊以後』より。

「日本代表の試合後は、他国にない悲壮感に包まれるが、その大きな理由は、敗戦を悪と捉えていることと大きな関係がある。敗戦に怯えながらサッカーをしている。今回の日本代表は、特にそう見えた。苦しそうに試合をしていた。それで敗れてしまう姿は、見ていて本当に辛い」 (P222)

こちらは、沖縄問題についての沖縄タイムズ記者、渡辺豪さんの言葉。著書『この国はどこで間違えたか』より。

「過ちは確かにあった。そして今もある。われわれが抱える問題の深刻さは、過ちに気づきながら事態を放置してきたこと。対象ときちんと向き合って転換や変革を図れない構造的な弱みにあるのではないだろうか」 (P294)

日本社会が直面するあらゆる問題に通じること。


今回の最後に、2人の言葉を。まず政治学者の岡田憲治さん近著『「踊り場」日本論』より。

「本来ならスポーツとは、われわれの浅はかな知性によって生成された何らかの形式とモードを破壊するものなんです。スポーツにおける肉体の奇跡ってのは、目の前で起こります。だから計画と予定調和といったようなものは目の前で瞬間的に破壊されるわけです」 (P222)

新しい価値観が生まれるのを目の当たりにできるからこそ、ワクワクする。


劇作家の平田オリザさんの言葉。著書『芸術立国論』より。


「明日のことは誰にも分からない。だが、たしかに明日は必ずやってくる。芸術はその未来に対する不安と希望を私たちに提示する」 (P53)

何が起こるか分からない「未来」。そんな未来に対し、「不安」だけでなく、「期待」を抱くことができれば、我々は「予測」がなくても、きっと「未来」に向き合える。

その「期待」を抱かしてくれる意味で、サッカーなどスポーツや芸術の役割はとっても大きい。

「予測社会」や「永年敗戦」のループから社会が抜け出す糸口を示せるのも、スポーツだと思う。

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