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2014年10月31日 (金)

「人間とコンピュータの関わり方がどうあるべきか。これを探っていく、見せていくのが電王戦の意義ではないか」

予想社会。その15。

きのうブログ(10月30日)では、牧野武文さんの次の言葉を載せた。著書『進撃のビッグデータ』より。

「ビッグデータとは『持てるすべてのデータを使い、意外な関係性を発見し、未来予測をする』技術なのです」 (P23)

この技術が目に見える形で展開されているのが、コンピュータ将棋ではないかと個人的には思う。

 

そうしたこともあり、最近は「プロ棋士vsコンピュータ将棋」のせめぎあいに興味を覚え、いろんな文献やテレビ番組を漁っている。

全ての過去の棋譜をデータ化し、最善手を予測するコンピュータ将棋。これに対して、人間であるプロ棋士たちはどう振る舞うのか。

棋士vs将棋ソフトの戦いである「電王戦」を主催するドワンゴ会長の川上量生さんは、先日の記者会見(10月28日)で次のように述べている。

「ミスをしない将棋という意味ではやはりコンピュータは強い。人間とコンピュータの関わり方がどうあるべきか。これを探っていく、見せていくのが電王戦の意義ではないか」

人間とコンピュータの関わり方…。

現在、棋王・王将の渡辺明さん著書『勝負心』で、データとの向き合い方について書いている。

「重要なのは、自分自身がその局面をどう判断するかだ。過去の棋士が勝てなかったとしても、自分なら何とかできるのではないか、と考えてみることだ。データには、単に勝敗が記されているだけである。順当勝ちであったのか、逆転勝ちであったのかは、棋譜を並べてみないとわからない」 P144)

「過去のデータを参考にするにしても、そこに新たな息吹を吹き込み、自分なりに加工することこそが大事なのである。そのようにして初めて自分自身の糧となるのだ」 (P144)


どんな膨大なデータがあっても、結局、最後は「判断」が必要となる。判断は、人間にしかできない。


お天気キャスターの森田正光さんの言葉。著書『「役に立たない」と思う本こそ買え』より。

「人間しかできない仕事がある。それは『判断』だ。コンピュータの予測データをどうのように使うか、本当に使っていいのか、責任を持って判断する。こればかりは人間にしかできない。コンピュータが今後どれだけ発達しても、最後まで『判断』という仕事が人間に残ると思う」 (P58)

牧野武文さん
著書『進撃のビッグデータ』で次のように書く。


「ビッグデータ分析は決して“正解”を教えてくれるわけではありません。“正解である確率”がきわめて高い答えを教えてくれるだけです」 (P177)

「ビッグデータは関連のあるデータをはじき出してくれるだけで、それをどう解釈するかは人間が考えなければならないからです」 (P178)

たぶんではあるが、コンピュータの「予測」と、棋士の「読み」は違うのである。きっと。

渡辺明さん。「読み」について次のように書く。著書『勝負心』より。

「差し手が一手でも進めば、一手前とは全く異なる局面になる。まさに一寸先は闇だ。当然ながら、読み筋も一手ごとに変わってくる。この一手ごとに繰り返される綿密な検討こそ、プロ棋士の『読み』というものである」 (P118)

現在、三冠の羽生善治さんJFN『学問のススメ』(2013年12月3日放送)より。

「何十手先がこういう風になるんじゃないかなって読む。またしばらくたって何十手先をもう一回、読む。そうすると途中の所で穴があったり、自分が考えていなかった手があったりして修正することがある。でも、その何十手先を読んでいくという繰り返しの中で、なんとなくこっちの方向、攻めた方がいいんだなとか、じっとしていた方がいいんだなという方向性がだんだん明確になっていく」

「何十手先を読んでも、ほとんどその通りにはならない。ただ繰り返しているとなんとなく方向性が見えてくる。という感じ」


どんなにデータがあっても、予測通りには進まない、ということ。一度立てた「予測」に頼り切るのではなく、常に「最善手」を考え、更新していく。

また、
羽生さんは『ドキュメント電王戦』では次のように語っている。

「戦の中で、20~30手先を読んだところでその通りになることはまずありません。毎回予想がはずれていますよ。将棋のプロといえども10手先を読み当てるのは相当に難しいことです」

作家の保坂和志さん著書『羽生』(文庫版)より。

「『読む』とはプランのことであって、ほかのあらゆるプランが現実と比べたときに粗雑さが現われるように、『読み』にもやはり粗雑さがある」 (P21)

粗雑さがあるからこそ、「判断」が必要となるのだし、だからこそ「不測の事態」にも対応ができるのではないか。

こんな言葉もあった。将棋の世界について話していることではないが、いろいろ重なっていて興味深い。京都大学総長で動物学者の山極寿一さんJFN『学問のススメ』(9月30日放送)より。

「我々は動物的な身体と、ロボット的な機械的な身体の狭間にいるわけです。機械というのは同じことを無限に繰り返すことができ、疲れない。ただし自分で判断し、考えることができない。不確かなものに対して反応することができない。動物的な身体というのは、大まかに判断をする。正確な情報を必要としない。ただし間違うことがある。しかも疲れる。しかもやりたくなければやらない」

「人間の身体は、まだまだ自然の方に属している。自分でコントロールできない環境をどこかで求めてしまう。今の日本の社会でも、犬や猫をはじめとした生きたペットの動物がたくさんいるというのは、都市の機械的な環境では非常に窮屈な思いをしている人たちがたくさんいることを表している」


さらに次の羽生善治さんの言葉を重なる。社会の同じ風潮について語っている。JFN『学問のススメ』(2013年12月3日放送)より。

「より社会的な制度なり、法律なり、習慣なりが、よりタイトにきっちりかっちりとやっていくという方向性に行っているのは間違いないと思っている。きちんと秩序を守るためには非常に大事なことではあると思うが、あまりやりすぎると息苦しくなる」

「どこかで『適当さ』という言い方が適切かどうか分からないが、そういう遊びというか、動かしている人の裁量の部分がもう少しあった方が暮らしやすいのかなと思う」

棋士たちの言葉や、上記の山極さんの言葉のなかに、「ビッグデータ時代に、ヒトはどう振る舞うべきか?」についてのヒントがあるような気がする。

 


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