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2014年10月 2日 (木)

「もしかすると、この予測不可能性を受け入れることが、人間にとって重要な資質なのではないだろうか」

今回も「予測社会」について話を転がしてみたい。「その6」。

先日、NHKで放映された作家の立花隆さんによるNHKスペシャル『臨死体験』(9月14日放送)を観た。正直、期待していたほどの内容ではなかったが、立花隆さんの次の言葉が残った。

「本当の所はよく分からない部分が、人間にとっては永遠に残る。そういうようなあり方で、人間は生き続けてきたし、これからも生き続ける。そういう気がして、それはそれで面白いことだと思う。生きるって面白い。分からないから面白い。人間っていう存在はもっと豊かで、そう簡単に『こうだ』って言えない所に面白さがある」

どこに転がるか分からないから、人生は面白い。ずっと言われていたことである。

茂木健一郎さんの言葉。著書『僕たちは美しく生きていけるのだろうか』より。

「『身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ』という『空也上人絵詞伝』の言葉もある。生きるということは、つまり、自分がどうなってしまうかわからない、ということを受け入れることである。自分がどうなってしまうかわからない。それでも構わない。と受け入れて前に進むことによって初めて、切り開かれる道がある」

立花さんのドキュメンタリーを観て、養老孟司さんの次の指摘も思い出した。著書『カミとヒトとの解剖学』より。

「臨死体験が流行するのは、社会現象である。その理由ははっきりしている。現代社会が、情報・管理社会であって、そこでは予測されないもの、管理できないものは、排除されるからである。他方、人は自然の中から発生したものであり、それ自身が自然の一部である。したがってその性向には、予測不能、管理不能な『自然』に対する、強い好奇心がある。社会がそうした自然を排除するものである以上、その好奇心は、人間の持つ『神秘』に向かわざるをえない。それが現代の流行であろう」 (P80)

現代社会は、予測できない物を排除する。だからこそ、ヒトは「予測不能」なものに興味を持つ。だから臨死体験やオカルトが流行する。

「ヒトは、自然の産物である。自然とは、やはりその定義により、究極的には予測不能、統御不能である。だから、おそらくヒトもそうであろう」 (P185)

本来、ヒトの存在そのものも「予測不能」なのである。しかし現代社会は、そのヒトにすら、予測や統御を求める。だから、子供の数や結婚の割合が減る。

養老孟司さんは、「予測社会」を「都市化」「脳化」という言葉で表現する。著書『臨床哲学』より。

「脳化の進展に伴って、自然としての子どもは排除される傾向が生じ、少産化が進行する。と同時に、子どもの管理が進行せざるを得ない」 (P282)

こちらは、棋界の名人だった米長邦雄さんの言葉。著書『われ敗れたり』より。

「では、コンピュータに、結婚について読ませたらどうなるでしょうか。結婚するとたぶん子どもが生まれるのだろう。子どもの養育費はいくらぐらいかかるのか。幼稚園は私立に入れた方がいいのか。公立がいいのか、それともほったらかしがいいのか。塾はどこに通わせるか、何を習いごとさせればいいのか。相手の親とはどう付き合えばいいのか、親の老後の介護はどちらがみるのか。家を建てるとして親と同居すべきなのか、葬式にはいくらくらいの金がかかるのか……」

「そうやっていろいろな展開を読んでいるうちに、おそらくコンピュータは『結婚なんて止めたほうがいいんじゃなの』という結論を出すのではないかと思うのです」


「将棋にもそういう局面がある。先を読む、ということがあまり有効でない場面があるのです」 (P59)

今、「コンピュータ将棋」は、一瞬で何十手先まで読み、最善手を「予測」する。それに対する言葉である。

らに、続ける。

本来、予測・統御不能なはずの自然としてのヒト。今の社会では、ヒトさえも何とか「予測」で埋めたいという要求を持つ。

例えば、出生前診断や遺伝子検査がもてはやされるのもそうであろう。

「生命がどうなるか」についても「予測」して、不安要素を「排除」したいのである。「備え」といえば聞こえがいいが、とにかく事前に「安心」を手に入れたいということ。

生命までも「予測」の基に置く傾向がこのまま強まると、どうなっていくのか。

北里病院で遺伝子診療を行っている高田史男さんTFM『未来授業』(8月26~29日放送)より。

「あらゆる遺伝的な疾患に応用が可能だと言われている。今後、1万数千あると言われている遺伝性疾患、もっといえば、遺伝性でないガンとかアレルギーとか、そういう体質とかも、生まれる前に調べようと思えば、技術的には可能になる。そうするとそこで『この命はいらない』『この命は選択する』みたいなふるいにかけられる命がどんどん増えてくる可能性がある。どこに歯止めをかけるべきなのか。パーフェクト・ベイビー願望を個人の希望でなんでも許されるのか。国民的な議論が必要だと思う」

アメリカなどでは、障害のある子供がひとり生まれると、その人の一生の間にかかる行政の福祉の経費がいくらである。それを出生前診断をして中絶をするといくらかかる。その差額の分を一般の子供の福祉にまわせば、このくらいの行政メリットが出てくる。というようなことをドライに計算して予算化している」


さらに高田さんは、次のように語る。

「遺伝というのは、一人ひとりが違うから、人間は多様性があるから楽しい。みんなが理想とする知能指数が高くて、脚が長くて、背が高くて、みたいなことを求めて、全部可能になると、逆に人類は滅びるかもしれない」

「多様性を担保することが社会には大切である。その中には病気のリスクもある。それを全部なくしてしまって、理想の命を授かりたい…。『五体満足でありさえすれば』という控えめに言っているかのような希望ですが、これは突き詰めていくととんでもないエゴの世界に入っていくことになる。どんな命でも逆に言うと受け入れる。子供を授かるということは、そういうことだということを知らなければいけない」


結局、「予測」が進むと、失われていくのは「多様性」なのである。

今回の最後に、マイケル・サンデル氏の言葉。著書『日本で正義の話をしよう』より。

「親であるということは、根本的に予測不可能な何かにかかわっている。もしかすると、この予測不可能性を受け入れることが、人間にとって重要な資質なのではないだろうか」

もう少し「予測社会」について転がしてみたい。


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