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2014年11月11日 (火)

「僕は日本の抱える問題に、共通して『自己責任の回避』があると感じます」

先週の毎日新聞(11月3日)に、作家の村上春樹さんの単独インタビューが掲載されていた。日本社会の問題点について、次のように語っている。

「僕は日本の抱える問題に、共通して『自己責任の回避』があると感じます。45年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていない。そういう気がする」

責任、である。

この「責任」という言葉がいろんなところで目についたので、それを並べて、いろいろ考えてみたい。

政治学者の岡田憲治さん著書『ええ、政治ですが、それが何か?』より。

「この事態を招いたことに関して、電力会社においても、行政においても、政治家においても、一切、全く、何の責任をとらされていません。あたかも『1000年に一度の天災』のせいだと言わんばかりの放置ぶりです」 (P252) 

作家の高橋源一郎さん。日本が抱える「責任」の問題について次のように語っている。ラジオデイズ『グローバリズムと愛国』(10月24日配信)より。

「あの原発事故で誰も責任を取らず、総括もせず、元に戻すと。責任を取らないということが、この社会がこのような形で来てしまった大きな理由だと思う」 (パート2 1分すぎ)

 「在特会の人たちの言っていることは、『日本は責任をとらなくていい』ということ。なぜウケるかというと、『責任をとらない』ということがすごく大きくこの国の底に流れている。『責任を取れ』というと、『なんだお前は』と言い返す」 (2分ごろ)

誰も責任をとらない社会的な体質…。

これについて社会学者の宮台真司さんは、次のように語っている。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(10月11日配信)より。

「市民社会に対して責任を取るとか、負うという考えがない。東電や政府も含めて、皆さん、内集団のことしか考えていない。他の集団、すなわち市民社会に対するコミットメントがない」 (パート2 36分ごろ)

例えば、民主党。岡田憲治さんの指摘。著書『「踊り場」日本論』より。

先日、あるところで、民主党の内情に詳しい人に、質問する機会がありました。『民主党はどうして党内議論をしっかりして敗北の総括を徹底的にしないんでしょうね?』って聞いてみたんです。大敗って最大のチャンスでしょ?そうしたその人曰く『それをやると責任問題が発生するだろう』。誰のせいでこうなったのかという、責任の問題が発生して、みんながただでさえボロボロになっているところで、ありゃ、あいつがいけなかったんだって話はできないんだというんです」 (P117)

そして戦争での責任の取り方について、ジャーナリストの池上彰さん著書『池上彰の教養のススメ』より。

「戦後の日本政府は、たくさんの兵を死に至らしめ、たくさんの民間人を死に至らしめたトップの責任を自ら追及しようとはしなかったんですよね。連合国軍の極東軍事裁判に任せてしまった」

「そのあげく『あれはあくまで勝った側の裁判だ』という。まさにその通りです。だったら自らの手で、戦争を失敗に至らしめた政治や軍のトップたちの責任を問うたか。問うていない。日本は自国での判断を放棄したことになり、それはつまり、極東軍事裁判の結果を受け入れたということになります。これは揺るがせにできない前提です」 (P232)

戦争の責任の取り方については、作家の赤坂真理さん小説『東京プリズン』にも印象的なシーンがあった。主人公のマリのセリフ。

「『私たちは負けてもいい』とは言いません。負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした」 (文庫版P526)

また赤坂さんは、著書『愛と暴力の戦後とその後』で次のように書く。

「最終的に責任を持つべきものが免責されているのだから、暴力の、天井の、底もない。すべては現場の裁量となり、『空気』と同調圧力が支配する。それが大日本帝国軍に起きたことで、それは今の日本の集団でも普通に起こりうると思う」 (P286)

誰も責任を取らないから、同調圧力が支配的になる…。なるほど、である。

一方で、こんな指摘も。作家の橘玲さん著書『(日本人)』より。

「統治のない社会には『責任』もない。戦争にせよ原発事故にせよ、日本ではむかしもいまも、責任を追及しても“空虚な中心”が待ち構えているだけだ」 (文庫版P294)

日本という社会は、責任を追及しても「詮無い構造」を長い時間かけて巧妙に作り上げているのかもしれない。

また、橘さんは、こんな指摘も。

「日本では、いったん『責任』を負わされ、スケープゴートにされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を逃れようとする。その結果、権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからなくなる。このようにして、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも『責任』をとる人間のいない奇妙な無責任社会が生まれたのだ」 (文庫本P280)

この指摘にも大きく肯いてしまう。


責任を回避し続けることで「國體」を護持する。まさに「永続敗戦」の構造である。

しかし、そんな「國體」が長続きするのだろうか。

内田樹さん著書『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』より。

「システムがクラッシュするのは、誰も責任を取らないからなんだよ。目の前に危機の兆候が見えてても、『これは俺の仕事じゃないから』って放置したり、その場にいない誰かの責任に転化するやつばかりになったときにシステムはクラッシュするんだよ」 (P40)

どうやっても…。

でも、今からでも遅くない。「誰かのせいにする」のではなく、社会全体で「責任」と向き合う方法や新しい仕組みを考えなければいけないことだけは確かだと思う。

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