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2014年11月 7日 (金)

「夢中になるのは、自分がしていることがどういう結果をもたらすことになるのか、あらかじめわかっているからではなく、何が起きるか予測がつかないからなんです」

予測社会。その18。

そろそろ、「予測社会」について終わらせたいと思っている。脈絡なくアチコチ行って、それこそ「予想外」に長い旅になってしまった。

「予測内」の反対の言葉が、おそらく「予想外」や「想定外」。

この「予想外」や「想定外」という言葉は、最近、何度も耳にしている。それだけ「予想」というものに囲まれているということだし、「予想」の通りに行かないことが多いということでもある。それをシミジミと実感したのが東日本大震災であり、原発事故だった。あれから3年半が過ぎたけど、社会はより「予測」を手に入れ、確固たる「予測社会」を作り上げる方向に行こうとしている気がする。

作家の玄侑宗久さん著書『<3・11後>忘却に抗して』より。

「分からないことに分からないまま向き合い。曖昧模糊とした現実を暗中模索で進むしかないでしょう。それは福島に限りません。いくら計画を立てて将来が見えるつもりになっていても、先のことは分からないと今回の震災でみんなが痛感したはずです」 (P200)

そして、佐藤優氏の言葉を思い出す。著書『野蛮人の図書館』より。

「答えを出さずに不安な状況に耐えることが大事だと思う。回答を急がない。不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

やっぱり、教養が必要なのだ。

ジャーナリストの池上彰さん著書『池上彰の教養のススメ』より。

「ルールを守るばかりでなく、ルールを創る側に回る。そのときに必要となるのが教養です。フレームワークや、所与の条件や、ルールそのものを疑ってかかる想像力。教養はそんな力を養ってくれます。すると、あらゆる変化が『想定外』ではなくなります」 (P33)

ここでの「ルール」という言葉を「予測」という言葉に置き換えると分かりやすい。そして、教養こそが「想定外」を克服してくれる。

文化人類学者の上田紀行さん。同じく『池上彰の教養のススメ』より。

「時代はむしろ枠外の自由な『教養』を求め始めています。いくら『できる人=よい道具』となっても、枠が崩れたら、その道具自体が役立たずになってしまうかもしれないのですから」 (P79)

教養とは「考えること」なのだと思う。

それに対して「予測社会」(養老さんの言うところの「都市化した社会」)は、「考えなくてよい社会」でもある。(9月19日のブログ

どうも「教養」を育むはずの教育の現場もベクトルはその方向に向いている。


哲学者の鷲田清一さん東京新聞夕刊(9月9日)より。

「安倍内閣が推進しようとしている『教育改革』は、標準化されたトラックをさらに一元管理し、生徒たちにそこを走らせようとしているのだとおもった」

「こういう生き方もある、こんな価値観もあるというふうに、子どもに生き方の軸となるものの多様さを教師がみずからの背で示す、あるいは過去の人物に託して語る・・・。そういうふうに将来の可能性の幅を拡げるところに教育の意味はある」


「『提言』は逆に、整備された道ならうまく走れるが、不測の事態にうまく対処できずにヘたり込むばかりの、そんな子どもを育てたいかのようである」

「『想定外』の事態にどう対処するかの能力が、生き延びるためにもっとも重要だということを、わたしたちは福島の原発事故で思い知ったはずなのに」


実際の教育現場は、「予測」「ルール」通り生きる人間、考えない人間を求めているのだ。(2013年4月12日のブログ

それは親にも言える。作家の柳田邦男さん著書『シンプルに生きる』から。

「おそらく、若者なり子どもなりが危機的な状況に陥ったときに、親が対応を間違うんだと思います。非常に打算的になったり、あるいは因果関係を先に考えて、役に立つとか、いい結果が出るという予測が立てば行動したり。そうやって理屈で考えるから、ろくな答えがでないんです」 (P43)

もともと教育というものと「予測すること」とは水と油の関係なのかもしれない。

武道家の光岡英稔さんの言葉。著書『荒天の武学』より。

「『世の中は必ずこうなるはずだ』という思い込みと『相手はこう来るはずだ』という想定は相似形で、それらを覆したときにどうするかが個として問われる。この問いに向かうには、固定観念化された価値観では歯がたたない。開いている価値観がそこにはないとどうにもならない」 (P101)

開いている価値観…。まさに多様性であり、教養のこと。

作家の内田樹さんは、「教育」について次のように書いている。著書『日本の文脈』より。

 「人間が自分の限界を超えるような働きをするのは、夢中になっている時だけです。そして、夢中になるのは、自分がしていることがどういう結果をもたらすことになるのか、あらかじめわかっているからではなく、何が起きるか予測がつかないからなんです」

「何が起きるか予測がつかないけど、何かとてつもなくおもしろそうなことが起こりそうだというワクワク感にドライブされて、人間は限界を超えて能力を発揮する」 (P119)

ここで言っている「何が起きるか予測がつかないから、夢中になり、自分の限界を超えていくこと」。これこそが社会の閉塞感に風穴をあけることにつながるのではないか。

それは「予想社会」について書いた最初のブログ(9月18日)で紹介した言葉につながる。 その後「イスラム国」で話題になった宗教学者、中田考さんの言葉。著書『一神教と国家』より。

「なぜなら、知を起動するのは、好奇心であり、未だ想像できないものへの憧憬だからです」 (P251)

この「予想社会」の流れに抗うということは、考え続けるということであり、反知性主義に抗うことでもあるのだ。

それはきっと「生きること」を取り戻すことでもある。そんなことをこの2か月、ずっと考えてきたことになる。

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