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2014年12月13日 (土)

「メディアが権力に介入されて押しつぶされてしまうと、我々は押しつぶされているということすら分からなくなる」

明日は選挙である。

きのうのブログ(12月12日)の続き。

「批判」「批評」が忌避されているのは、メディアの姿勢の問題でもある。

元日本テレビの放送記者、水島宏明さんの言葉。著書『内側から見たテレビ』より。

「自分が教えている大学生と会話していても、最近の若い世代は『権力を批判すること』は、してはいけないことだと受け止めがちな傾向がある。報道機関が権力の動きを批判的に捉えたり、批判したりすることは最終的に社会全体のためにもなっている、ということをぜひ覚えてほしい」 (P148)

「コンプライアンスという言葉の徹底で、表面上は世間や政治家などから『怒られない存在』(マツコ・デラックスの表現)であろうと細心の注意を払っている。番組の中身もそうだが、放送する放送局そのものもご立派な職場になった」 P206)

メディア自身も「権力批判」という役割を忘れ、さらには「自分たちへの批判」を恐れる。

だから自民党の要請に過剰に反応する。そして「批判」のない社会づくりに加担する。

自らが「批判」や「批評」を避けて、ジャーナリズムは成り立つのだろうか。

先月亡くなった俳優の高倉健さんも次のような言葉を遺している。毎日新聞(11月19日)より。

「国のやった間違いを書かないとジャーナリストはたぶんダメなんだと思いますよ」

「お金はほしいですよ。でもそればっかりでいいのっていう時がいつかきます。書いたものが誰のボディーを打って誰が泣いてくれたか。そこまでいかないと」


例えば政治学者の岡田憲治さんの指摘。著書『「踊り場」日本論』より。

「『スポーツ批評』って、つまりはスポーツを守るためにあるわけです。だから『経済の起爆剤』や『感動をありがとう』っていうスカスカしたスポーツ消費に乗っかっているだけではスポーツをまもれないんですよ」 (P229)

ここでの「スポーツ」をそのまま「政治」に変えても通じる。メディアが批判をせず、経済や景気など消費を煽るだけでは、結局、政治そのものを守れない。

しかし、テレビメディアは今回の選挙での自民党からの介入に対して忖度で応えようとした。

政治学者の中島岳志さん著書『街場の憂国会議』より。

「権力は多くの場合、直接的な介入によって行使されるのではなく、現場の勝手な忖度によって最大化する。特に、バッシングを繰り返す独断的な政治家とそれを支持する運動が結びついたとき、忖度は加速する」 P155)

「人々は存在しない抗議に怯え、自主規制を繰り返す。忖度は権力に対する批判的チェックの役割を担うメディアの内部においても誘発される」 (P159)

まさに、その通り。

政治学者の國分功一郎さんの言葉。『坂本龍一×東京新聞』(編・東京新聞編集局)より。

忖度との戦いは、言論の自由を守るための最前線である」 (P174)

内田樹さんの言葉。ツイッター(6月25日)より。

「メディアの命は批評性です。なぜ世界は今あるようにあり、それとは違うかたちを取らなかったのかを考えることです」


きのう取り上げた久米宏さんの言葉と重なる。

スノーデン氏を取材したジャーナリストのグレン・グリーンウォルドの言葉。著書『暴露』より。

「挑戦的ジャーナリズムだけが、ジャーナリストや情報提供者の頭上に政府がつくり出した恐怖の雲を振り払う力を与えてくれるのだ」 (P99)

そして
ジャーナリストの神保哲生さんは、次のように語る。ビデオニュース・ドットコム「ニュース・コメンティタリー」(12月6日配信)より。

「僕が危機感を持ったのは、これに対するメディアや世の中の反応があまりにも鈍い、というかほとんどないこと」

「メディアが権力に介入されて押しつぶされてしまうと、我々は押しつぶされているということすら分からなくなる」 (1分すぎ)

メディアが権力に怯んだまま、明日、投票日を迎える。

トマス・ジェファソンの危惧ではないが、もし本当に「メディアのない政府」が出来上がった場合、この社会は本当にどこに転がって行ってしまうのだろう。



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