「我々の前に道はない。ゆらぎながら進んだ足跡が、振り返ったとき初めて道に見えるのではないだろうか」
今回も「復興」について。3月13日のブログから、被災地で感じた「復興」についての違和感について考えている。
きのうの朝日新聞夕刊(3月17日)に、歴史社会学者の小熊英二さんが「復興」について書いて、僕が感じたこととすごく重なっている。
「これは、自然現象を建造物で封じ込めれば解決する問題ではない」
そして、今後の災害復興について次のように書く。
「第一に、公共インフラの整備よりも、被災者の直接支援を増やすべきだ」
さらに次のようにも。
「復興とは何かを考え直すことだ。復興とは、社会に暮らす人々の幸福の実現だ。かりに復興事業で域内GDPや人口が増えたとしても、それは復興の実感とイコールではない」
「復興とは何よりも、住民の生きる意欲の回復だ。復興事業は、それを助けることを目標にするべきだ」
「かつてはその手段がインフラ整備だったとしても、現代はそうではない。そしてその発想転換は、被災地のみならず、現代日本に何よりも必要なものなのだ」
本当にその通り、なのである。
東日本大震災から4年も経ち、被災地では「復興事業」だけが進んで、「暮らしの復興」が進まない。被災地で回復すべきものは、被災者の「日常」であり、そこで「生きる意欲」なのだと思う。それこそが「暮らしの復興」なのではないか。
石巻市立病院開成仮診療所所長の長純一さん。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(3月7日配信)より。
「普通にあった日常がなくなってしまった。普通に当たり前にある日常というものは、人が生きていくうえで重要なもの。そういうものが失われてしまった」 (Part②4分すぎ)
では「日常」を取り戻すため、「復興事業」とは、別に何から手を付けていったらいいのだろうか。そのヒントとなりそうな言葉を。
作家の玄侑宗久さん。サイト『ポリタス』(3月12日)より。
「まず何より復興とは、コミュニティ作りなのだという明確な視点を求めたい」
玄侑さんは、お祭りや墓参りといったことが重要だという。
ただ、この「暮らしの復興」とは、東日本大震災の問題だけではない。いつか来る災害や、もしかしたら空洞化する日本社会そのものに当てはまるものなのかもしれない。
社会学者の宮台真司さんの言葉。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・デマンド』(3月14日配信)より。
「僕たちの社会の10年後、20年後を映し出している。そう考えるのが正解です」 (Part①2分ごろ)
宮台さんによる、今の日本社会ついての次の指摘とも重なる。雑誌『中央公論』(4月号)より。
「砂を噛むような現実に耐えるには、顔の見える範囲のスモールコミュニティを作り、ホームベースにするしかありません」 (P130)
「顔の見える範囲の共同体を意識的に形成し、人々を匿名化する巨大システムに飲み込まれず、共同体自治を進めること、かくして社会の中で『我々』がハンドリングできる領域を広げること。そして『我々』に含まれる人を増やしていくこと。これらのことが重要です」 (P131)
そう。被災地の問題は、「我々」の問題なのである。
玄侑宗久さんは次のように書く。成長・右肩上がりが終わった我々の社会に当てはまる言葉だと思う。サイト『ポリタス』(3月12日)より。
「震災当初には気づかなかったさまざまなことに、我々はようやく気づいてきた。起こってみないと考えないことは、誰にでもあるはずである。新たな事態を前に思い直すことは思い直し、ゆらぎながら進んでいいのである」
「我々の前に道はない。ゆらぎながら進んだ足跡が、振り返ったとき初めて道に見えるのではないだろうか」
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