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2015年3月15日 (日)

「『何か』が瓦解しつつある。冷静な議論を経て、国民の将来や国益を守るための選択がなされているとは思えない」

前々回(3月13日)のブログから、被災地で感じた違和感について転がしながら考えている。今回も基本的にその続き。

きのうテレビの情報番組では、あちこちで北陸新幹線の開業の話題を取り上げていた。

旅行客の増加などの経済効果や利便性向上など華やかなことばかり語られる一方、在来線の廃止、第三セクター以降による値上げなどの地元への影響についての扱いは少ない。

こうした新幹線開業においても、地元の人たちの日々の暮らしが犠牲になっても、国家レベルの経済効果が生み出すことが優先されている気がする。

そして、今週東京を離れていた間の新聞を読み返した。

沖縄では、防衛局が辺野古の調査を一方的に再開した。
反対する沖縄県の翁長知事に対して、中谷元・防衛大臣は次のように語る。東京新聞夕刊(3月13日)より。

「沖縄県のことや国の安全保障のことも考えていただきたい」

扇長雄志・知事は、政府の対応を次のように批判する。東京新聞(3月13日)より。

「県民に対して説明がない中で物事を進めており、許せない状況だ」

対して中谷・防衛大臣は、次のように答える。

「今のところこちらから会うという考えはない。より対立が深くなるということでは、会っても意味がない」

こうしたヤリトリにも、地元の民意よりも、日米安保という国家のシステムを優先させたい考えがうかがえる。しかも話し合うという過程すら放棄する。

これこそが、東日本大震災の被災地での「復興事業」と同じ構図なんだと思う。話し合うという「面倒」な過程を省いて、中央の事業を押し付けることで物事を進めていく構図である。

民俗学者の赤坂憲雄さんの言葉。毎日新聞夕刊(3月11日)より。

「『何か』が瓦解しつつある。冷静な議論を経て、国民の将来や国益を守るための選択がなされているとは思えない」

「我々が戦後何とか守り育ててきた自由や平和や生存の権利といったものを、まともな議論もなく突き崩していくことが何を意味するのか」

脚本家の倉本聡さんの言葉。毎日新聞夕刊(3月13日)より。

「原発事故はまだ終わっていない。国策で進められてきた原発の事故でふるさとを追われた『棄民』が一人でもいる限り」

棄民とは、人々の暮らしが犠牲となること。原発だけでなく、日常生活のいろんな場面で、「国策」による「棄民」が行われようとしている。

作家の柳田邦男さん毎日新聞夕刊(3月12日)より。

「大切なのは『人間の復興』です。これを置き去りにして一体この国はどこに行くのか」

「人は将来に希望がないと、前向きに生きる力を失う。将来のビジョンと希望が見いだせる状況。これが『人間の復興』です。でも中央の被災地復興の視点は、経済やモノに偏っている」

「震災を教訓に本当に人の命を守れる国に生まれ変わるかどうか。この国は今、その分岐点にある」


しかし安倍総理は、「命を守ること」よりも、「国を守ること」が自分の仕事だ、と言葉にしている。(3月14日のブログ

日本という社会は、今直面している分岐点、その先の道を誤ろうとしているのかもしれない。


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