「『あなたの意見には反対だけれど、あなたが意見を表明することの権利は命がけで守る』という民主主義のもっとも根本的なところを、政治家や、企業でいうと管理職の人たち、それから学校の先生たちが守れるかどうかなんです」
もう少し「議論」について。きのうのブログ(4月21日)の続き。
なぜ、ここ数回、「議論」について考えているか。改めて確認すると…。
これからは色んな異なる価値観をぶつけ合い、すり合わせ、調整して、共有していくことで、「公共の空間」を作り、「公共性」を育んでいくことが大事。という話の流れの中で、よく政治家は「議論が必要」という言葉を使う。しかし、彼らの「議論」はそれをすることが目的になっている違和感を持ってしまう。それは、なぜなんだろう。
そんな思いで、ここまで何回か「議論」について言葉を転がしてきた。
前回のブログでは、内田樹さんによる、政治家の議論が空洞化するのは、「非対話的なモード」だからという言葉を紹介した。
相手の価値観を認めない、理解しようとしない「非対話的なモード」だから、お互いが納得できる合意形成、折り合いを見つけることができない。
話は変わるが、先週(4月17日)、安倍総理と沖縄の翁長知事が、会談した。新聞には「対話ムードを演出」(朝日新聞4月18日)、「対話姿勢を演出」(沖縄タイムズ4月17日)などの文字が見られた。
そこで、今回は「議論」ではなく「対話」について、少しだけ考えてみたい。
劇作家の平田オリザさんの説明。NHK『東北発 未来塾』(4月13日放送)より。
「対話とは、違う立場の人同士が自分の考えを説明し合い、価値観をすり合わせること」
「分かり合えないということは、価値観が同じにはならないと考える。価値観をひとつにしなくても社会を構成できるようにすることが大事。いろんな人たちがいて、その人たちがお互いの立場を理解する」
やはり「お互いの立場」を理解することが大事となってくる。政治家に足りない部分である。
また平田オリザさんは次のようにも指摘する。著書『ニッポンには対話がない』より。
「ほんとうにだめなのが、中高年の男性たちです。これがいちばん対話下手。いま流行している言葉で言うと『上から目線』で、『そんなことはないだろう』とか、『きみは若いからわからないかもしれないが』って言ってしまう。若い人たちの意見を押さえつけるためだけの発言をしてしまう」 (P58)
「異なる感性とか異なる価値観をすり合わせていくのは大変なことですけれども、それをいとわないという習慣を身につけていかないと、少なくとも異なる文化的背景を持った人とは仕事にならない」 (P165)
僕にとっても耳の痛い言葉だったりもする。また安倍総理や菅官房長官が、沖縄の翁長知事から「上から目線」と批判されたのも思い出す。
元外交官の北川達夫さん。同じく『ニッポンには対話がない』より。
「『相手の気持ちはわからない』という前提に立つエンパシーという発想が、言語、文化、宗教、伝統、性別、世代、立場など、あらゆる「違い」を超えたコミュニケーションにおいては、必要不可欠なものとなる」 (P138)
「相手の見解があって自分の見解がある。それが対立する、対立するとお互いが変わってくる。まさに、その変わってくるところを楽しめるか、そこを重視できるかですよね。回避せずに、対立を恐れないでぶつかって、そのうえでお互いにどう変わるか、そのプロセスを理解することが対話では重要になってきます」 (P167)
「妥協というものを否定的にとらえると、これまた対話はできなくなってしまいます。対話というのは、価値観を意図的に衝突させ、そこによってお互いに変わっていく作業なのですから、ある意味で前向きに妥協点を探す作業ともいえるんですね」 (P168)
結局、折り合いや妥協をするためには、自分が変わることである。その変わるということをいかに肯定的に変わるかが問われる。
さらに内田樹さんの次の言葉を重ねると興味深い。著書『子どもは判ってくれない』より。
「『私の主張は間違っている可能性がある』と思っている人間たちが集まると、その議論はたいへん迅速に進行し、かつ内容は濃密で深厚なるものとなる」 (P129)
最後に、平田オリザさんの次の言葉を。著書『ニッポンには対話がない』より。
「ワンランク上のほんとうの民主主義国家として成立させるための正念場に来ていると思います。それはやはり、『あなたの意見には反対だけれど、あなたが意見を表明することの権利は命がけで守る』という民主主義のもっとも根本的なところを、政治家や、企業でいうと管理職の人たち、それから学校の先生たちが守れるかどうかなんです」 (P53)
議論をすることが目的の「議論」に終始するのではなく、「対話」を続け、お互いが理解し合い、折り合い、すり合う過程で自分が変わっていく。それこそが「公共性」につながっていくことなのだろう。沖縄問題しかり、被災地での復興しかり。
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