「日本の選挙には、議論が不在なのである」
ここ数回、「議論」と「対話」についての言葉を並べみた。
いろいろ調べていて、サイト『ハフィントン・ポスト』(2013年6月10日)に掲載されていた明治大学教授の小笠原泰さんのブログ『日本人は、なぜ議論できないのか』(第3回) が参考になった。
日本で行われている「議論」というものについて次のように書く。
「場(の空気)で徐々に参加者を縛り、『思いの共有化』と称して全員一致が望ましい状態であるように方向づける日本の『議論』」
それに対して、「対話」とは。
「意見の異なる明確な相手を念頭に置く、双方向のコミュニケーションであるdialogue(対話)」
「対話は、ロゴス(言語と論理)による勝ち負けという結果を問う『討論』とは異なり、ロゴスを分かち合う学ぶプロセスであり、説得ではなく、自発的に意見を変えることを良しとし、それを負けとはしない」
確かに日本では、議論、討議、討論、論戦、対話などがすべて「議論」という言葉を用いて語られるからややこしかったりする。
さらに小笠原泰さんは、『日本人は、なぜ議論できないのか』(第4回) で、さらに次のように分析する。
「対話(ダイアローグ)の集積ではなく、独白(モノローグ)の連鎖の展開が、日本的な言語行為の特徴といえるのではないか」
「特定の相手に向けてメッセージを発し、各自の意見を互いに主張し、それをぶつけ合うのではなく、むしろ、相手を特定することなく、意見の対立は顕在化することなく、会議と言う『場』に、独り言(モノローグ)のように発せられる参加者一人一人の考えや意見(思いや心情に近い)が次々と置かれていくと言えないか」
上記の日本の「議論」の特長を頭に入れながら、次の指摘を読むとより興味深い。
ドキュメンタリー監督の想田和弘さん。雑誌『ジャーナリズム』(4月号)に、『ニッポンの選挙には「議論」が不在』という文章を載せている。
「よく政治家が『選挙戦で論戦を展開していきたい』などと発言したりするが、論戦が実際に行われることは極めて稀である。日本の選挙には、議論が不在なのである」 (P10)
「僕が観察した二つの選挙では『問題や課題について洗い出し、議論し、意見をすり合わせる』という過程と機能が、ほぼ完全に欠落していたように思う。そして議論やすり合わせがないまま、主権者は投票日を迎え、決断だけを迫られるのだ」 (P9)
候補者が自分の主張や意見を「独白(モノローグ)」といて語るだけなのが、日本の選挙なのである。選挙戦において、その政治家の「対話力」や「柔軟性」を見たりすることはできない。
また政治の場で候補者同士、政治家同士の主張をぶつけ、すり合わせる「議論」がないのと同様に、社会には、政治家と有権者の間にも「対話」がない。
政治学者の早川誠さんは有権者について次のように書く。雑誌『ジャーナリズム』(4月号)より。
「しかし、政治家やジャーナリズムと自分自身との意見の一致を求めるあまり、自分以外の有権者の意見が反映されることを拒絶してしまえば、異なる意見の違いを調整する余地などはなくなる。有権者は相互に分断されてしまい、政治に不可欠な妥協や取引が成立する可能性は低くなってしまう」 (P27)
これから必要となってくるのは、政治家同士、政治家と有権者の間の本当の意味での「対話」なのだろう。すり合わせ、調整、そして合意形成、折り合いということを繰り返すことで政治の世界にも「公共性」を作り出していかなければならない。
最後に。
小笠原泰さんの興味深い言葉を。『日本人は、なぜ議論できないのか』(第5回)より。
「全会一致(衆議一決)は、欧米社会では、ファシズムに通じるものとして、民主主義社会において回避すべきものとして認識されている」
明日は、統一地方選挙後半戦の投票日。僕の地元でも、候補者たちの「独白」による選挙戦だけが行われていた。きっと、今回の選挙でも何も変わらないのだろう。
とにかく個人的には、多様な候補者の当選と、投票率の下げ止まりを望みたい。
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