「生きているものには、みんな手間がかかる」
是枝裕和さんが監督した映画『海街diary』を観た。人びとの暮らしが淡々と描かれていて、とても良い映画だった。
映画に出てくる人たちは、みんな自らの暮らしに良いこと、悪いことを複雑に抱えながら、でも楽しそうに生きている。
主人公の四姉妹(幸・佳乃・千佳・すず)が、自宅の庭の梅の木について語り合う。
「実も成るけど、ケムシもつく」
「ケムシとったり、消毒したり」
「生きているものには、みんな手間がかかる」
このセリフがとても印象的だった。
梅の木だけではない、人の心や生活にだって、実も成れば、ケムシもつく。良いことも悪いことも起きる。社会だって、そう。良いことだって、悪いことだって予期せず起きる。それが生きる、ということ。暮らす、ということ。きっと。
とにかく手間がかかるのである。そして、なんとか折り合いながら生きて行く。
宮崎駿さんの言葉を思い出す。このブログでは何度も紹介した。NHK『プロフェッショナル』(2013年11月13日)より。
「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』ってことになる。世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」
さらに、やましたひでこさん。著書『「めんどくさい」をやめました』より。
「私たちはさまざまな物事や、さまざまな人たちとつながり、そのつながりのなかで生きています。もしも、『めんどくさい』を繰り返しつながりを断っていけば、結果的に自分自身を孤立させ、人生の広がりを狭めてしまいます」 (P24)
「『めんどうくさい』というのは、『やりとげなければ」という気持ちの表われ。『やめられない』という前提があるから出てくる言葉なのかもしれません」 (P173)
そう。その手間や面倒が、人や街や季節とのつながりも生み、その中で生きていることを実感させてもくれる。
それでも時には個人では手におえない大きな「手間」や「面倒」が起きることもある。そのためにそれを「仕事」として請け負う人がいる。
映画の中で、加瀬亮さん演じる信用金庫の職員(坂下美海)が次のようなセリフを口にする。
「面倒くさいことをするのが、私たちの仕事」
話は飛んでしまうが、本来、政治家の人たちの仕事だって、そうなんだと思う。手間がかかること、面倒くさいこと、それを国民や市民の代わりとなって大きな所で請け負っていくのが政治というものなのではないか。
それなのに、今の政治の世界では「効率」とか「スピード」とかが大事にされ、政治家は誰も手間がかかることや面倒くさいことをしたがらない。
作家の高橋源一郎さん。TBSラジオ『セッション22』(6月9日放送)より。
「今は“どんどん早く決めろ”となっている。民主主義はギリシアが発祥の地。それまでは独裁制だったのを、『決められる政治』から『決められない政治』にした。それは、なぜかと言うと、早く決めることによって誰も考えなくなるから。ゆっくり決めるということは大変。ずっと考えて、ずっと相手の話を聴いて、ずっと相手を説得する。手間も暇もかかる」
「政治というのは“早く決めて、役に立てばいい”となっている。政治の結果、何かが出来る。でも、それよりも、それを通じて人間が変わる。知恵を得る。前より冴えたことを考えられるようになる。違う世代のことを考えられるようになる。それが実は民主主義の本質なのではないか」
民主主義だって、梅の木と同じなのである。みんな手間がかかる。それを忌避してはいけない。
ちょっと飛躍し過ぎかな…。
最後に改めて、映画『海街diary』の話。
この映画を観ていて、つくづく思ったのは、しょせん人間は、季節や街(社会)に「寄生」しているにすぎないということ。たぶん季節や街が与えてくれる「手間」や「面倒」を受け入れ、折り合い、それをきっかけに人とつながったり楽しんだりすることこそが「暮らし」というものなのではないか…。
リリー・フランキーさん演じる店長(福田仙一)が最後に口した「こそっと」という言葉も個人的には好き。
我々は、季節や街の中に、“こそっと”自分の居場所をみつけながら生きて行く。そんな感じなのかもしれない。
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