「悪弊を断つためには、『おかしいぞ』と声に出してチャレンジする人物の出現を待つしかないのだろうか」
東芝の不正会計問題について。
東芝が起こした不正会計の問題というか、粉飾決算について、例えばNHKWEB(7月22日)では、NHK経済部の野口恭平記者が次のように書く。
「報告書では、東芝には『上司の意向に逆らうことができない企業風土』があったと指摘しています。そのことを象徴することばが、『チャレンジ』というキーワードです」
「社長が『チャレンジ』と称して、会議の場で、高すぎる利益などの目標でも必ず達成するよう厳しく求めていたとしています」
また毎日新聞『経済プレミアム』(7月21日)の記事では…。
「歴代3社長は、『チャレンジ』と称して過剰な業績改善を各事業部門に要求した」
「この『チャレンジ』という言葉が、東芝を組織ぐるみで不正に走らせたキーワードだった」
この東芝の不正会計問題では、個人的には、この「チャレンジ」という言葉がとにかく印象的だった。
ちなみに、英語の「challenge」の正確な意味は、次のようになる。The Japan Times「BOOK CLUB」 より。
「challengeは動詞では『挑戦する』。名詞では、『挑戦』という重々しい言葉にふさわしいほどに『困難なこと』。日本語の『チャレンジする』より、はるかに語感が重く、危険で不可能に近いことに使います」
東芝で使われていた「チャレンジ」は、もともとの英語の意味に極めて近い。危険で、不可能に近いことだからこそ、結果、「水増し」が横行したのだろう。
NHKスペシャル『戦後70年 ニッポンの肖像―政治家の模索―第2回』(7月19日放送)という番組を観た。
この番組の中で、ジャーナリストの田原総一朗さんは、アベノミクスについて、次のようなコメントをしていた。
「『今や成長はない』『資本主義は終わりだ』という意見もある。僕はアベノミクスというのは、これに対する“チャレンジ”だと思う。アベノミクスは『いや、成長はするんだ』というもの。僕は“チャレンジ”という意味では、アベノミクスを買っている。成功するかどうかは分からない。これは“壮大なチャレンジ”です」
東芝問題を知らない段階での発言だと思うが…。
さらに調べてみると、政府広報オンラインのHPも興味深い。
「チャレンジ日本」というフレーズを掲げたうえ、次のように説明する。
「アベノミクスの第3の矢『成長戦略』は岩盤のようにかたい規制や制度に果敢にチャレンジしてきました。若者・女性・企業の皆さん、活躍の舞台は徐々に整いつつあります。さあチャレンジのチャンスです。持続的な経済成長を目指して一緒にチャレンジしましょう」
チャレンジ日本…。結構、シャレにならないかもしれない。
ここでアベノミクスについて使われている「チャレンジ」という言葉と、東芝事件での「チャレンジ」という言葉に本質的な差はないのではないか。
また上記で紹介した「報告書では、東芝には『上司の意向に逆らうことができない企業風土』があったと指摘しています」という指摘。
これも「今の自民党には『上司の意向に逆らうことができない党内の空気』がある」と置き換えても何の問題もない。
やれやれ。
東芝やアベノミクスだけではない。日常にあふれる宣伝文句や、必要以上にシアワセ感をアピールするSNSの個々の記事…。この社会は、すっかり「粉飾」や「水増し」といったものに馴れてしまっている気がする。
なんとかプラス面の言葉も紹介して終わりたかったので、調べてみると秋田魁新報のコラム「北斗星」(7月22日) が、この東芝問題を取り上げていた。その最後の言葉を載せておきたい。
「悪弊を断つためには、『おかしいぞ』と声に出してチャレンジする人物の出現を待つしかないのだろうか」
アベノミクスはもちろん、安保法制についても、野党だけではなく、自民党、もしくは公明党内に「おかしいぞ」と声を挙げ、正しい意味でチャレンジする政治家が出現してほしい。心からそう思う。
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