« 「国会正面前の道路はさっきから広場になりました」 | トップページ | 「記憶が共有され、人々が社会を成すと、呼び出す声が聞こえるわけです。つまり、『こういうことがあったのに、私たちは何をしているのか』という声が聞こえてくる。そうなると、それに対し応答(レスポンス)しなければならない、という動きがおきる。それが、その社会における責任(レスポンシビリティ)です」 »

2015年9月 1日 (火)

「広場は民主社会のレッテルであるように思える。日本にそれがないことは淋しすぎる」

きのうのブログ(8月31日)では、先の日曜日には国会前に「広場」が出来た、という話を書いた。

そのあと、映画監督の園子温さん著書『受け入れない』を読んでいたら、“広場”についての文章が出来てきた。サッカー日本代表の試合の後、渋谷のスクランブル交差点に集まる若者たちについて書いているもの。

「世界的にも大きな首都と言える東京に、恥ずかしながら広場を作り忘れた。これは日本の欠陥であって、スクランブル交差点に集まる若者はちっとも悪くない」 (P56)

東京というか、日本には確かに“広場”がない。大勢の人が集まれる場所がない。

そこで“広場”について少しだけ調べてみた。

すると戦後の都市計画を進めた人に石川栄耀さんという方がいるのを知った。“広場”についてこだわりを持ち、自ら整備した歌舞伎町の真ん中には、コマ劇前広場(今はシネシティ広場というらしい)を作っている。

この石川栄耀さんによる“広場”についての言葉。『都市計画家 石川栄耀』より。

「広場は民主社会のレッテルであるように思える。日本にそれがないことは淋しすぎる。何となく日本人の性格の中に民主主義が無いことを意味するように思えるからである」 (P240)

「自分は復興計画で新宿に歌舞伎町という盛り場を作った。広場のある芸能中心としてつくった。それが日本唯一の広場のように思っている」 (P244)

「自分にいわせれば日本人には『広場なき』民族であった。家ならば『茶の間なき』家の造り手。顔ならば『微笑なき』人たちである」 (P245)

「広場のない民族。それは笑いのない民族というのに等しい」 (P271)

広場を持たない社会は、民主主義がない社会…。けっこう深い言葉である。

“広場”で連想したのが、1969年に7000人が新宿西口広場に集まったというフォークゲリラ。

この新宿フォークゲリラについて、社会学者の道場親信さんは、次のように語る。図書新聞 より。

「『広場』は重要なキーワードだと思います。コミュニケーションを厭わない関係を人の輪の中からどう自発的につくりだせるか」

“広場”に集まり、知らない人がコミュニケーションを通じて意見を交わす。やがて、それが民主主義とつながっていく。

これは、次の言葉に重なる。作家の高橋源一郎さん著書『ぼくらの民主主義なんだぜ』より。

「『民主主義』とは、たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒にやっていくシステムのことだ」 (P254)

劇作家の平田オリザさん著書『対話のレッスン』(文庫版)より。

「考えが異なる人々がなにかを決めるためには、異なった考えの相手を説得しなければならない。それも、すべての異なった考えの人々を。なんと気の遠くなるような状況だろう。けれど、それが『民主制』だった。そして、その『異なった考えの相手』を説得するための技術、いや、考え方こそ『対話』だったのである」 (P258) 


広場 ⇒ 色んな人が集まる ⇒ コミュニケーション ⇒ 対話 ⇒ それが民主主義

“広場”から“民主主義”への流れは、こんな感じだろうか。

ただ新宿のフォークゲリラの後、警察は、現場となった「西口広場」を「西口通路」と名前を変えさせる。“通路”と呼ぶことで、そこに人が集まることを禁止したという。

この国の権力は、“広場”を作ることよりも、常に“広場”を奪う方向に動く。戦後70年は、ただでさえ“広場”の少ない日本社会から、権力が徐々に“広場”を奪ってきた歴史でもあるのかもしれない。そして、広場とともに「民主主義」が失われていく。

しかし、である。

久しぶりに日本社会に“広場”が誕生した。それが先の日曜日、国会前で起きたことなんだと思う。

私たちはこれから、民主主義を取り戻していくためには、そうした「広場」をどんどん作っていかなければならない。いろんな場所、いろんな空間に多様な形や大きさの“広場”、すなわち“公共空間”が必要なんだと思う。

きっと安倍政権は、数少ない貴重な広場を今までにましてどんどん奪っていこうとするだろう。でも、そんな圧力に負けてはいけない。

さてさて、新しい広場をどこに作るのか…。

やはり手始めとしては、以前のブログ(7月24日)で書いた、今更地になっている国立競技場の跡地を広場にするのがいいと思う。そこで東京五輪の開会式もやる。

新国立競技場問題では、ゴタゴタの渦中にいた建築家の安藤忠雄さんも次のように言っている。読売新聞(3月21日)より。

「本来、人の集まる場所こそ一番大事です。でも、今の日本で求められるのは経済効果としての建築ばかり。『余白』を作らせてくれない」

安藤さんには新しい国立競技場を作るための審査員長として、ぜひ自分で都心の「余白」すなわち“広場”を作ることを実践してほしい。




« 「国会正面前の道路はさっきから広場になりました」 | トップページ | 「記憶が共有され、人々が社会を成すと、呼び出す声が聞こえるわけです。つまり、『こういうことがあったのに、私たちは何をしているのか』という声が聞こえてくる。そうなると、それに対し応答(レスポンス)しなければならない、という動きがおきる。それが、その社会における責任(レスポンシビリティ)です」 »

★広場と民主主義」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 「国会正面前の道路はさっきから広場になりました」 | トップページ | 「記憶が共有され、人々が社会を成すと、呼び出す声が聞こえるわけです。つまり、『こういうことがあったのに、私たちは何をしているのか』という声が聞こえてくる。そうなると、それに対し応答(レスポンス)しなければならない、という動きがおきる。それが、その社会における責任(レスポンシビリティ)です」 »

カテゴリー

無料ブログはココログ