「今のジャパンの良さは主体性があること。コーチに言われた通りにするだけでなく、リーダーグループで常に、チームをどう運営するかを話し合っている」
ここ2回のブログでは、大活躍したエディー・ジャパンと、安倍総理の「一億総活躍社会」のベクトルの違いについて考えてみた。
今回も、改めて確認するつもりで新たな言葉を並べてみたい。
エディー・ジョーンズ氏は、ラグビー日本代表の帰国直後の会見(13日)で、次のように指摘した。
「日本のラグビーは本領を発揮できていないといつも感じていました。優秀な選手はたくさんいるが、日本のラグビー文化は選手の能力を十分に引き出せていない。規律を守らせ従順になるためだけの指導が行われている」
エディー氏を長く取材している生島淳さんのコメント。TBS『サンデーモーニング』(10月18日放送)より。
「号令のもとに従順に練習をこなしていって成果を上げていったのが日本のスポーツ界」
「昭和の文脈でのスポーツの強化だった。重要になったのが集団主義とか、目標に対して従順に勤勉に頑張っていくこと。そういったものが尊ばれて、日本の価値になってきた」
「もうそれだけでは勝てない。自分の判断とか、表現力を磨いていかないと駄目だよ、とエディ―監督はずっと言ってきた」
これまで「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」というスローガンに代表されるような集団主義やチームへ従順さを選手たちに求めてきた日本ラグビー。
しかし世界とわたり合っていくためには、自主性を持ち、自分で判断できる「個人」を育てていかなければならない。エディー監督は、そう思い、それを実行した。だからこそ、世界と肩を並べることができたのだろう。
キャプテンのリーチ・マイケルさんの言葉。雑誌『Number』(10/23臨時増刊)より。
「今のジャパンの良さは主体性があること。コーチに言われた通りにするだけでなく、リーダーグループで常に、チームをどう運営するかを話し合っている。キャプテンは試合で最後の決断をするけれど、一番大事なのはリーダーグループです」 (P42)
自分たちで判断できるリーダーグループが必要…。
これは、中京大学教授の湯浅景元さんの指摘とも重なる部分がある。東京新聞(10/12)より。
「世界で勝つには、いい意味でのエリート養成が求められています。しかも、『日本のために』アスリートを育てるのではなく、才能ある『個人のために』その能力を伸ばすという発想の転換が必要です。まさにそれがグローバル化です」
「日本は、学校、企業がスポーツを担ってきました。その結果、アスリートたちのいざというときの心の支えが『母校、わが社、国のため』になってきました。もっと『個人のため』であるべきです」
「スポーツのもともとの意味は『余暇』『気晴らし』。アスリートたちが楽しんでこそ、世界で戦えるのです」
自分で判断ができる個人が思い切り力を発揮する。その上で、周りの選手を信頼し、連帯し、助け合う。だから強くて臨機応変な「チーム」「全体」「組織」が生まれる。
そして、できるだけ「楽しむ」。この要素も忘れてはいけない。我々は「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」なのである。
これらのことは、ラグビーやスポーツの話だけではない。もちろん「生きること」、「社会を作ること」にも当てはまる。
作家の村上春樹さんの指摘。著書『職業としての小説家』より。
「もし人間を『犬的人格』と『猫的人格』に分類するなら、僕はほぼ完全に猫的人格になると思います。『右を向け』と言われたら、つい左を向いてしまう傾向があります」
「でも僕が経験してきた日本の教育システムは、僕の目には、共同体の役に立つ『犬的人間』をつくることを、とくにはそれを超えて、団体丸ごと目的地まで導かれる『羊的人格』をつくることを目的としているようにさえ見えました」
「そしてその傾向は教育のみならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのものにまで及んでいるように思えます」 (P200)
技術経営コンサルタントの湯之上隆さん。こちらは日本の電機メーカーがなぜ世界市場で勝てないか、という話。ビデオニュース・ドットコム(10月10日配信)より。
「日本には均質な労働力はある、均質な技術者はある。でも『ピン』がいない。この『ピン』を排出するような教育が必要」
均質な労働者や技術者だけでは世界に通用する製品を産み、流通させることはできない。今は、そういう時代なのだという。
リーダーグループ、エリート、ピン、猫型人間…。つまり、全体に対して従順になるのではなく、自分で主体的に判断できる人をいかに育てていくのか。これからの日本社会に求められているのは、このことなのだろう。
だけど、今、日本社会では、大ぐくりなスローガンが有難がられる。判断できる個人を育てることよりも、その全体に従順な個人を作り出そうとしている。そんな気がする。
姜尚中さんの言葉。TBS『サンデーモーニング』(10月18日放送)より。
「ひとつにまとまる、秩序を重んじる、みんなの空気を読む。これは富国強兵の時代には、それなりの効率性を持ったのかもしれない」
「今は、色んな所でそれに合わせて無理をしているからモラルハザードが起きている」
「どう考えても『一億総活躍社会』というのは、その典型ではないかと思う。まだいける、まだいける、まだ動ける…。『一億』というのは、みんな一つにまとまるということの象徴ではないか。富国強兵型を脱出して、違うもう一つの日本を目指す段階にきている。もう一回元に戻ってやりなさいと言うのは無理があると思う」
改めて書いておく。
日本社会でこれから必要なのは「一億総活躍社会」というスローガンなどではない。集団主義で個人を統制することより、自分で判断・行動でき、周りと助け合える「個人」、すなわち「市民」を育てていくことをまず優先する。そんな新たな「ジャパン・ウェイ」こそが必要なんだと思う。