「正解病ってのが、いまの時代病のような気がする」
きのうのブログ(11月2日)では、ラグビーのエディー・ジョーンズ監督の日本のラグビー界に対するの以下の指摘を紹介した。NHK『プロフェッショナル』(1月26日放送)より。
「日本の練習で一番間違っているのが、ミスをしないように練習することです。『ノーミス!ノーミス!』と叫んでいますが、ミスするから上達するのです」
この指摘は、スポーツだけに当てはまることではない。きっと。
社会全体でも、コンプライアンスが重宝され、もしミスをしようものなら、徹底的に叩かれる。誰も彼もが「リスクゼロ」を求められ、ヘロヘロになっていている。
そんな風潮に対する指摘を…。
作家の糸井重里さんのズバリ一言。著書『ぼくの好きなコロッケ。』より。
「正解病ってのが、いまの時代病のような気がする」 (P158)
藤原和博さんの言葉。著書『負ける力』より。
「成熟社会に入った日本では、もはや唯一の『正解』があることなんて皆無なのに、まだ成長社会の頃のように正解がある前提で取り組むから、それ以上進めなくなってしまうわけです」 (P62)
同じく藤原和博さん。朝日新聞広告面(3月9日)より。
「戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、日本の教育現場には三つのキーワードがありました。『ちゃんとしなさい』『早くしなさい』『いい子にしなさい』これは言い換えれば、『正しく』『早く』『従順に』」
そして、内田樹さん。著書『こんな日本でよかったね』より。
「私たちが『誤り』から学ぶものはたいていの場合『正解』から学ぶものよりも大きい」 (P210)
作家の高橋源一郎さんは次のように書いている。雑誌『SIGHT』(61号)より。
「近代になってからずっと、この国では『必ず正解がある』という信仰が、意識の奥底に定着している」
「やっぱりどこかに正解があるんじゃないかってずっと思わされてきた呪縛みたいなものがあるから、そこで急に『正解なんかないよ。だからより悪くならないほうを選べばいいんだよ』って言われても、身体が動かないんだよね」
「だから、威勢のいいことを言っている人につい頼りたくなるのは、正しさへの淡い信憑がまだ残っているんだよ。みんなの中に」 (P122)
なるほど…。
この「必ず正解がある」という信仰と、政府が進める「一億総○○社会」というのは、どこかつながっているような気がする。
「正解」に向かって、社会をひとまとめにして突っ走ろうとする動き。
でもそれは、全体主義につながっていく。かえって閉塞感は強まり、自由は失われていくのではないか。
次の高橋源一郎さんの言葉も思い出す。読売新聞(2012年3月6日)より。
「『本当の正しさ』を突き詰めていくと、人は狭量になり、寛容さを失っていきます」
<参考>