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2016年1月の記事

2016年1月31日 (日)

「つらい過去も全て学び未来に向けて互いを尊敬し合う関係を深めていくことが重要だ」

前回のブログ(1月25日)では、「未来志向」という耳触りのいいフレーズと共に社会全体が前のめりになっていることへの違和感について書いた。

それについての追加の言葉を並べておきたい。

toto(スポーツ振興くじ)がスポーツ応援CM「Stand by Me篇」というのを流している。

とてもいい感じのCMだと思って見た。でも、最後に出るフレーズがひっかかった。

「前を向け。未来たち」

完全に前傾姿勢なキャッチコピー…。きっと2020年の東京五輪までは、こんな前のめりなスローガンがあふれるに違いない。

前回のブログで、昔は日本では、可視できる過去を「サキ」といい、予測できない未来を「アト」と呼んでいることを紹介した。

そのことと、次のフレーズが重なって興味深い。

作家の赤川次郎さん東京新聞(1月24日)自著『セーラー服と機関銃』でのフレーズを取り上げていた。主人公の組長・森泉をサポートする副組長・佐久間がラスト近くでつぶやくフレーズである。

「ヤクザの世界は後ろを向いているんです。義理とか人情とかいいますが、本音は前に進むのが怖いだけです」

 さらに、こう続ける。

「だから、前をけっして見ないんです――みんな、臆病なんですよ」 (文庫版P334)

ヤクザに学べ、と言うとヘンかもしれないが、室町時代同様、私たちも、もっと「未来」に対して臆病になるべきなのかもしれない。

また話は飛ぶが、天皇・皇后両陛下がフィリピンを訪問した。その両陛下の慰霊について、フィリピン大教授のリカルド・ホセさんは次のように語っている。毎日新聞(1月28日)より。

「実際に起こったことは消し去ることはできない。忘れてしまってもいけない」

「同じ失敗を繰り返さないための努力はしなければならない」


…と述べたうえで、ホセさんは次のように語っている。

「若い人の多くは歴史に関心がない。今回の両陛下の訪問を一つのきっかけとし、つらい過去も全て学び未来に向けて互いを尊敬し合う関係を深めていくことが重要だ」

過去は学ぶもの。その姿勢を基に、お互い尊敬し合い、信頼し合って未来は築いていくもの。そんな感じだろうか。

アチコチ跳びながら、言葉を並べて考えてみた…。

きっと「未来」というものに対しては、思いっきり前傾姿勢になって進んでいくのではなく、もう少し臆病になって、周りとの信頼関係を担保に進んでいく。そんな姿勢こそ必要なのではないだろうか。そう思った。

2016年1月25日 (月)

「むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある」

前回のブログ(1月23日)の続き。安倍総理の「未来志向」について。

安倍総理は、年末に韓国の朴槿恵大統領と慰安婦問題をめぐって電話会談した時も、次のように述べている。産経新聞(12月29日)より。

「日韓関係が未来志向の新時代に入ることを確信する」

最近、安倍総理が多用する「未来」という言葉。個人的にはどうしても気になってしまう。

 話は飛ぶが、先日、SMAPの会見での木村拓哉さんのコメント。日刊スポーツ(1月19日)より。

「これから自分たちは、何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思いますので、みなさんよろしくお願いします」

これも、同様…。なんだか、社会全体が前傾姿勢になっているような気がして少し気持ち悪い。

こうした社会の「未来志向」に隠されてしまうことについて考えてみたい。

まずは歴史学者の清水克行さんの指摘。著書『世界の辺境とハードボイルド室町時代』より。

「現代人に『未来の方向を指してみてください』と言うと、たいていは『前』を指しますよね。でも、そもそも古代や中世の人たちは違ったんです。未来は『アト』であり『後ろ』、背中側だったんです」 (P75)

「戦国時代ぐらいまでの日本人にとっては、未来は『未だ来らず』ですから、見えないものだったんです。過去は過ぎ去った景色として、目の前に見えるんです。当然、『サキ=前』の過去は手に取って見ることができるけど、『アト=後ろ』の未来は予測できない」 (P75)

「ところが、日本では16世紀になると『サキ』という言葉に『未来』、『アト』という言葉に『過去』の意味が加わるそうです。それは、その時代に、人々は未来は制御可能なものという自信を得て、『未来は目の前に広がっている』という今の僕たちが持っているものと同じ認識を持つようになったからではないかと考えられているのです」 (P76)

非常に興味深い指摘。現在は、未来は制御可能という意識が強まっている…。

京都大学大学院教授の藤井聡さんの指摘。著書『<凡庸>という名の悪魔』より。

「全体主義プロパガンダでは、『我々は未来を予言できる!』と断定されるのです」 (P59)

「例えば、ヒトラーやナチスは頻繁に『歴史の必然』というプロパガンダを繰り返しました」

 「独裁者は、『自分の予言が正しかったことを絶え間なく証明する事のみに一意専心する』こととなっていくわけです」 (P65)

未来が制御可能という意識は、全体主義や独裁者と相性がいい…。そうなのかもしれない。

私たちは、もう少し社会の前傾姿勢が強まっていることへの警戒感を持つ必要があるのではないか。

民主党の馬淵澄夫議員の言葉。サイト『BLOGOS』(2015年8月15日)より。

「真の『未来志向』とは、過去の過ちを曖昧にすることではなく、過去を冷静に見つめ直し、その教訓を今、そしてこれからに活かすことではないか」

池上彰さんの言葉。毎日新聞(2013年1月1日)より。

「未来を見るためには、まず、過去を見よ。人間は、いつの時代も、同じような行動をとり、成功したり、失敗したりしています。すこし前の歴史を見ると、現代とそっくりではないかと思えるようなことがたくさんあります」

作家の辺見庸さん朝日新聞(1月21日)より。

「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう」

これらの言葉は、室町時代の人たちと同じ考えということになる。


2016年1月23日 (土)

「現代社会では未来に目標を設定し、その目標を達成するために現在を効率的・合理的に生きることが求められている」 

安倍総理がきのう(22日)、衆議院で施政方針演説を行った。

「一億総活躍の未来を拓く」

「安倍内閣は『挑戦』を続けてまいります。皆さん、共に『挑戦』しようでありませんか」

相変わらず、「挑戦」という言葉が並ぶ。今回は21回使ったとのこと。(1月8日のブログ

また安倍総理は、今国会を「未来へ挑戦する国会」と位置付けているのとのこと。朝日新聞夕刊(9月22日)より。

演説の「全文」を読んでみると、確かに「未来」という言葉も多用している。

未来…。

すぐに思い出した言葉がある。

立教大学大学院の杉原学さんの指摘。『半資本主義社会』(著・内田節)より。

「現代社会では未来に目標を設定し、その目標を達成するために現在を効率的・合理的に生きることが求められている」 (P117)

「『わたしたちは、歳月の方をつかまえると、この瞬間を失ってしまう。未来のために生きると、生きている現在を見失ってしまう』このように述べ、現在が未来のための手段でしかなくなっていくことを憂いたのは、コミュニティ研究で知られる社会学者、マッキーヴァーであった」  (P117)

次の養老孟司さんの指摘とも重なる。著書『カミとヒトとの解剖学』より。(2014年10月6日のブログ

「未来とは、本来の意味合いでは、なにが起こるか、『まだ未定』のものだった。しかしいまでは、その未来が殆ど現在に変わった。なぜなら、そこで起こることは、むしろ『既定の事実』に近くなったからである」 (P171)

「予測され、統御された『確実な未来』、それはもはや未来ではなく、現在であろう。われわれは可能なかぎり予測を進め、その結果にしたがって、未来を『統御する』。それが進めば進むほど、未来はどんどん現在に転化して行き、われわれはどんどん忙しくなる」 (P173)

未来に向けて社会がまい進し始めると、私たちはより効率的・合理的に生活することを求められ、現在すなわち「日々の営み」を犠牲にして、どんどん忙しくなっていく。

さらに、杉原学さんの指摘。

「未来とは文字通り『未だ来ぬ』時間のことであり、本質的に不確実性をはらんでいる。その不確実な未来への関心が強まった結果、人々は常に不安のなかで生きることを余儀なくされているのではなだろうか。そしてその不安が大きくなるほどに、未来の不確実性に対応するための『現在の手段化』がますますエスカレートしてゆく」 (P118)

つまり、リーダーが「未来」に向けた掛け声を挙げれば挙げるほど、私たちには、希望よりも不安感が増えていくのではないか。

安倍総理の演説を新聞で読んでいて、そんなことを考えた。


2016年1月20日 (水)

「日本は人々がパブリックなことを話し合うための場所をなくすことに、見事に成功したんですね。本拠地がないと、運動は続かないですから」

先日、新宿歌舞伎町へ行った。旧コマ劇前にあった噴水はなくなり、広場そのものもノッペリとした感じとなっている。

この噴水広場は、歌舞伎町の名づけ親で、都市整備を担当した石川栄耀氏が作ったもの。彼のことは、以前(9月1日のブログ)で触れた。

皇居前広場、新宿西口広場…、戦後の時代に市民たちが志を持って集まっていた広場は、次々と集会が禁じられていった。戦後70年、徐々に政府や自治体は、市民が集まり、対話するパブリック・公共の場所を奪ってきたのである。

東京という街から広場が消えたからこそ、デモは国会前の路上に集まり、お祭りで騒ぎたい人たちは渋谷の交差点に集まる。ただ、そこはあくまでも道路。道路を管轄する警察のさじ加減で規制される。決して、人々が自由に集まれるパブリックの場所ではない。


ノンフィクション作家の高野秀行さんと歴史学者の清水克行さんの対談を思い出す。著書『世界の辺境とハードボイルド室町時代』より。

高野 「英語の『パブリック』と日本語の『公』って言葉としてかみ合わないんで。日本の公って一体何だろうってよく考えます」

清水 「『パブリック(公共の)』と『オフィシャル(公式の)』の違いなんでしょうね」 (P294)

確かに今の日本では、パブリックという場所は、全てお上の管轄の場所に置かれている。許可が必要なのである。政府や自治体は、その時々で「パブリック」と「公」という言葉を使い分け、市民を管理しようとする。

日本から「広場」はなくなり、民主主義は後退した。そういうことなのだろう。

さらに最近は、市民団体に対して、公共の施設や大学のホールが貸し出されない事例が相次ぎ、ジュンク堂という書店までもが自主規制を受け入れた。いずれも、これまでは「公共の役割」を果たしてきたと思っていた場所である。


武蔵野大学教授の永田浩三さんのコメント。雑誌『AERA』(12/26&1/4号)より。

「このところ、政府批判を許さない風潮や、自治体などが勝手に政府の意向を忖度して自主規制する傾向がある。公民館などの公共施設は戦後に民主主義を市民に普及する場だった。そこで言論の自由を守らなければ、民主主義が揺らいでしまう」 (P32)

ジュンク堂難波支店の店長、福嶋聡さんのコメント。

「書店は意見の交戦の場であって、あらゆる意見を排除しないという民主主義を体現している場所です」 (P33)

そうなのだ。お上はついに、広場以外の「パブリックな場所」をも奪おうとしているのである。

作家の高橋源一郎さんの言葉。雑誌『AERA』(12/26&1/4号)より。


「日本は人々がパブリックなことを話し合うための場所をなくすことに、見事に成功したんですね。本拠地がないと、運動は続かないですから」 (P18)

その結果、この国では民主主義が危機を迎えている。

最後に、石川栄耀さんの言葉をもう一度、載せておきたい。『都市計画家 石川栄耀』より。

「広場は民主社会のレッテルであるように思える。日本にそれがないことは淋しすぎる。何となく日本人の性格の中に民主主義が無いことを意味するように思えるからである」 (P240) 

2016年1月 8日 (金)

「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」

新年、おめでとうございます。

々の更新。気がつけば、年も改まり、2016年に。


その新年の安倍総理の年頭の記者会見(1月4日)。きのう、その言葉を改めて読む。いくつかの新聞にも書いてあったが、この会見で、安倍総理は「挑戦」という言葉を24回使っている。

いくつかピックアップしてみる。

「私たちはその先をしっかりと見据えながら、本年、新しい国造りへの新しい挑戦を始める、そんな年にしたいと思います」

「本日から始まる通常国会はまさに未来へ挑戦する国会であります。内政においても外交においても本年は挑戦、挑戦、そして挑戦あるのみ。未来へと果敢に挑戦する1年とする、その決意であります」

「私も日本の将来をしっかりと見据えながら、木を植える政治家でありたい。それがいかに時間がかかり、いかに困難な挑戦であったとしても、1億総活躍の苗木を植える挑戦をスタートしたいと思います」


「この安定した政治基盤の上に、1億総活躍への挑戦をはじめ、内政、外交の課題に決して逃げることなく、真っ正面から挑戦し続けていきたいと考えています」

「挑戦しない限り何事も成し遂げることはできないわけでありまして、挑戦するのはできるだけ早く挑戦しなければ手遅れになるわけでありまして、ですから、この国会からこの挑戦を、私たちは始めたいと考えております。そして、そのための1億総活躍社会、そういう社会を作っていきたいと思っています」

などなど。まさに挑戦、挑戦、挑戦…、見事なくらいの「挑戦」のオンパレードである。

この安倍総理による「挑戦」という言葉を耳にして、思い出したのが東芝の粉飾事件。歴代の社長が使っていた「チャレンジ」という言葉である。

当時の毎日新聞(2015年7月21日)は、次のように書いている。(2015年7月27日のブログ

「歴代3社長は、『チャレンジ』と称して過剰な業績改善を各事業部門に要求した」

「この『チャレンジ』という言葉が、東芝を組織ぐるみで不正に走らせたキーワードだった」

この東芝での「チャレンジ」という上からの言葉は、そのまま「粉飾」へとつながっていた。

せめて安倍総理の「挑戦」という言葉が、「粉飾」につながらないことを願いたい。彼の提唱する「一億総活躍社会」が「粉飾社会」とならないことを祈る。(2015年8月16日のブログ

その「一億総活躍社会」というスローガンについて。

ホームレス支援をしているNPO理事長の奥田知志さんは、次のように語っている。朝日新聞(1月6日)より。

「スローガンはことばですが、実現してこそ意味を持つものです」

「またスローガンという強い光が当たると影が一層濃くなり、その部分が見えなくなる」

「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」


我々にとって大事なことは「忘れない」ということ。

すなわち安倍総理の「挑戦」という言葉を聴いて、東芝の「チャレンジ」を思い出すこともその一つなんだと思う。


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