「むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある」
前回のブログ(1月23日)の続き。安倍総理の「未来志向」について。
安倍総理は、年末に韓国の朴槿恵大統領と慰安婦問題をめぐって電話会談した時も、次のように述べている。産経新聞(12月29日)より。
「日韓関係が未来志向の新時代に入ることを確信する」
最近、安倍総理が多用する「未来」という言葉。個人的にはどうしても気になってしまう。
話は飛ぶが、先日、SMAPの会見での木村拓哉さんのコメント。日刊スポーツ(1月19日)より。
「これから自分たちは、何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思いますので、みなさんよろしくお願いします」
これも、同様…。なんだか、社会全体が前傾姿勢になっているような気がして少し気持ち悪い。
こうした社会の「未来志向」に隠されてしまうことについて考えてみたい。
まずは歴史学者の清水克行さんの指摘。著書『世界の辺境とハードボイルド室町時代』より。
「現代人に『未来の方向を指してみてください』と言うと、たいていは『前』を指しますよね。でも、そもそも古代や中世の人たちは違ったんです。未来は『アト』であり『後ろ』、背中側だったんです」 (P75)
「戦国時代ぐらいまでの日本人にとっては、未来は『未だ来らず』ですから、見えないものだったんです。過去は過ぎ去った景色として、目の前に見えるんです。当然、『サキ=前』の過去は手に取って見ることができるけど、『アト=後ろ』の未来は予測できない」 (P75)
「ところが、日本では16世紀になると『サキ』という言葉に『未来』、『アト』という言葉に『過去』の意味が加わるそうです。それは、その時代に、人々は未来は制御可能なものという自信を得て、『未来は目の前に広がっている』という今の僕たちが持っているものと同じ認識を持つようになったからではないかと考えられているのです」 (P76)
非常に興味深い指摘。現在は、未来は制御可能という意識が強まっている…。
京都大学大学院教授の藤井聡さんの指摘。著書『<凡庸>という名の悪魔』より。
「全体主義プロパガンダでは、『我々は未来を予言できる!』と断定されるのです」 (P59)
「例えば、ヒトラーやナチスは頻繁に『歴史の必然』というプロパガンダを繰り返しました」
「独裁者は、『自分の予言が正しかったことを絶え間なく証明する事のみに一意専心する』こととなっていくわけです」 (P65)
未来が制御可能という意識は、全体主義や独裁者と相性がいい…。そうなのかもしれない。
私たちは、もう少し社会の前傾姿勢が強まっていることへの警戒感を持つ必要があるのではないか。
民主党の馬淵澄夫議員の言葉。サイト『BLOGOS』(2015年8月15日)より。
「真の『未来志向』とは、過去の過ちを曖昧にすることではなく、過去を冷静に見つめ直し、その教訓を今、そしてこれからに活かすことではないか」
池上彰さんの言葉。毎日新聞(2013年1月1日)より。
「未来を見るためには、まず、過去を見よ。人間は、いつの時代も、同じような行動をとり、成功したり、失敗したりしています。すこし前の歴史を見ると、現代とそっくりではないかと思えるようなことがたくさんあります」
作家の辺見庸さん。朝日新聞(1月21日)より。
「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう」
これらの言葉は、室町時代の人たちと同じ考えということになる。
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