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2016年3月15日 (火)

「気がつけばお役所発注の巨大防潮堤ばかりができている。これでは。ますます忘れてしまわないか、心配です」

今年も3月11日には、宮城・気仙沼市のお伊勢浜海岸で行われた集中捜索活動に参加した。

ボランティア活動のあと、慰霊祭で献花をさせていただき、町はずれにあるその会場から中心部まで2時間あまり歩きながら、いろいろ考えた。

あれから5年である。

気仙沼市内でも巨大な防潮堤や高層の公営住宅も次々と完成に近づいている。いわゆる「復興」が進んでいることになる。

ただ去年も感じたこと(2015年3月13日のブログ)だが、その街の姿には「違和感」ばかりが募る。この先、この街はどういう姿になって行くのか…。

養老孟司さんの言葉。朝日新聞(3月11日)より。

「むしろ、今後の被災地で懸念されるのは、その他の地域の記憶から、忘れ去られることです」

「気がつけばお役所発注の巨大防潮堤ばかりができている。これでは。ますます忘れてしまわないか、心配です」


精神科医の斎藤環さんの次の言葉とも重なる。毎日新聞(3月8日)より。

「忘却に抗するインフラを作らないと被災者は置き去りになる」

社会学者の宮台真司さんの次の指摘も、ストンと腑に落ちる。TBSラジオ『デイキャッチ』(3月11日放送)より。


「その場所が安心安全便利快適だけだと、人はより快適な場所に出て行ってしまう。街が一つの生き物として段々展開していくプロセスが大事」

「街が機能で評価されるなら、人の尊厳はそこでは保たれない。より便利な場所に出て行ってしまって終わり。街が人の予想を超えた生き物だから、歴史を感じさせる街もそう、下北沢や吉祥寺が人気あるのも、都市計画によって作られたというよりも、自然に広がっていったから」

「所詮、『機能』なんていうものは、その時の当座の人の便利さを考えて作った『箱』ですから、時間の流れでどんどん風化して基本的にはガラクタになっていく。日本の箱ものは、ほとんどガラクタになっていく。その経験を我々は散々しているはずなのに、また新しいゲームに変えるチャンスだったのに、変えられず。従来のゲームをまた『復興』と称して繰り返しているだけなのが、現在の実態です」


僕が、定点観測のように毎年気仙沼市で見ている「復興」による街づくり。どんな姿になって行くのだろうか。誰かが、全体像、グランドデザインを描いてそれに導いているのだろうか。

残念ながら、そうは思えない。住民だけでなく、市長などの政治家も含め、誰も、どういう街が出来上がっていくのか想像できていないのではないか。今や勝手に動き出した「システム」が、さらに自然や人々の暮らしを蹂躙しながら、誰も意図しない街を作っているのではないか。そう思えて仕方ない。

新しい国立競技場の聖火台の問題について、宮台真司さんが指摘していたことは、そのまま「復興」にも当てはまる。TBSラジオ『デイキャッチ』(3月4日放送)より。

「各自が自分に与えられた権限の範囲で考えているだけで、基本的に全体像をイメージする人がいなかった」

「これは以前の戦争、大東亜戦争、太平洋戦争の時にも問題になったこと。セクショナリズムが存在し、手続き主義が存在し、各自がその中で、カッコつきの『頑張っている』のでしょうけど、全体像を見渡す人がいない。本当はそれを政治が、政治の機能を果たす何かが行うべきなんですが、そういう部署が日本にはないということ」


こちらも宮台真司さんビデオニュース・ドットコム『大震災でも変われない日本が存続するための処方箋』(3月12日配信)より。

「行政官僚の各々は、自分たちの、自分の職掌(ロール)を一所懸命果たしている。それが組み合わさって全体になるはず。なのに、全体を見る人がいない。全体を見て指令する人がいない。誰も全体を観察していない。そんな状態で、みんな『私は仕事をちゃんとしている』と思っている。これが病」

「ふつうは全体を観察するのが政治の機能。政治家の機能でもある。基本的にみんな部分的な最適化しかしない。だから全体としては合成の誤謬となる」


「競技場はオリンピックのために作る。それなのに聖火台を作ることをだれも考えていなかった…。これはすごいこと」 (パート①27分ごろ)

政治学者の小熊英二さんも同じ指摘をする。朝日新聞(3月9日)より。

「役人は仕事熱心で、被災者は我慢強く従い、国民も善意にあふれている。なのに、なんでうまくいかないのか。そう聞かれる。私が思うに、それぞれの部局ではみんな頑張っていても、全体を見て大局的な判断をする人がいないのです」


部分的な最適化だけが行われてしまい、全体は誰も望まない方向に進む。被災地、原発、五輪会場…、こうしたことがアチコチで行われている。これが日本の病なのだろう。

改めて、宮台真司さんTBSラジオ『デイキャッチ』(3月11日放送)より。

「3・11以降の東北で起きていることは、今後日本で起こることのひな形なんです。今後、日本がいろんなところで立ちゆかなくなった時に、例えば東北が新しいゲームを初めて復興することに成功していれば、それを見本にして僕たちも新しいゲームを始められるんですけど。残念ながら東北が見本を示すチャンスを政治と行政が完全に潰してしまいました。同じことがおそらく東北以外の場所でもこれから起こっていく可能性が高い」




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