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2016年4月13日 (水)

「個がなければ公への認識は生まれない。公への奉仕が強制的に求められるとしたら、ファシズムです」

このブログでは、日々の生活のなかで印象に残った色んな人たちの言葉を並べている。そこから共通に見えるものについて考えたりしている。

このブログを続けながら、僕は「公共とは何だ?」ということについて考えていることが多いと思う。

きのうの朝日新聞(4月12日)には、『公共のゆくえ』と題した特集記事が載っていて、作家の桐野夏生さんがインタビューに答えていた。そのインタビューから。

「公共性とは、いったい何なのか。公共という語が都合よく使われている気がします」

「私たちは、それほど個人として認識されているのでしょうか。一人ひとりの顔が非常に見えにくいですよ。この社会は」

「自分のことを振り返っても、日本は女性が個人として自由に生きつらい国です」

「個がなければ公への認識は生まれない。公への奉仕が強制的に求められるとしたら、ファシズムです」


司馬遼太郎さんも次のように指摘する。NHKスペシャル『司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち』(2月19日放送)より。

「立憲国家は、人々、個々の、つよい精神が必要なのです。戦後日本は、まだまだできていません」

しかし、どうやら今の日本では、さらに「個」が存在しにくい風潮が強まっているようである。

 ライターの武田砂鉄さんの今の政権に対する指摘。著書『紋切型社会』より。

「彼らの想定する『私たち』とは個人ではない。『I』の集積ではない。集いまくって『I』を『We』にするのではなく、『We』が切り刻まれて『I』になっていくという算段だ」 (P120)

「目立つ個に個が吸収されて全体化していく、これは個人主義でもなければもちろん民主主義でもない。全体化の後に残るのは、大量のまったく曖昧な単体である」 (P123)

「個」がなくなって曖昧な単体となる…。これは、昨今、政府の締め付けに対して、グズグズになっているメディアの構図と同じである。

TBS『報道特集』キャスターの金平茂紀さん雑誌『世界』5月号より。

「本来は『内部的自由』を確保していたはずの記者やディレクターたちが、組織を守るという大義名分のもとで、個を滅却して組織の論理に進んで従う。自主規制、忖度、過剰なコンプライアンス遵守が横行して、言葉・表現の自由がまさに自壊しかかっているのではないか」 (P71)

作家の森達也さん。ハンナ・アーレントを引き合いに「公共」について述べた言葉雑誌『現代思想』(2015年2月号)より。

「公共の場が特定の色に染まってしまう状況は、望ましくない。というか、同質的な者しかいなくて、まるで全体で『一人』のようになってしまった社会的な場は、もはや公共的空間ではない」

「多様な人が同じテーブルにつき、みんながいろいろな意見を持ち、それぞれが発言できるような状況、それぞれの人が固有名をもって現れるような状況が、アーレントの観点では、公共空間です」


「ところが、日本の場合はそうじゃないんですね。日本社会ではみんな一致していることが望ましい状況とされます」 (P194)

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