スポーツ

2013年10月22日 (火)

「安心安全がそんなに大事かと思います」

ここ6回続けて「リスク」についての言葉を並べて、それについて考えている。サッカー協会の田嶋幸三さんやオシム元監督によるスポーツ界における「失敗やリスクを恐れる風潮」についての指摘を例に取り上げてから始まった。(10月10日のブログ

きのう桑田真澄さんと、ノンフィクション作家の佐山和夫さんによる『スポーツの品格』を読んでいたら次のような対話が出てきた。 

桑田 「トーナメントというシステム、『負けたら終わり』というあり方そのものを考え直していくことが必要だと思います」  

佐山 「『負けたら終わり』のトーナメントでは、一つの失敗が命取りになります。だから、日本の指導者は『失敗するな』『こういうことをしてはダメだ』ということを盛んにいいますね。つまり、禁止事項を厳密に命じるわけです。そして、選手が禁止事項を守らないと、罵声や暴力が飛び交うことになってしまう」 (P86)

甲子園の全国高校野球選手権だけでない。そういえばボクの子供が所属する少年野球チームも、トーナメント戦ばかり。

その一発勝負のトーナメントが「失敗を許さない風潮」を作っているのではという指摘である。これが以前のブログ(今年1月28日)でも紹介した「勝利至上主義」や「体罰」の問題にもつながっている。ヨーロッパやブラジルのサッカーでは、目先の「勝利至上主義」に陥りやすいということで、今では小学生レベルでは行われていないという指摘も読んだことがある。


桑田真澄さんは、さらに次のように語っている。 

「スポーツで失敗するのは当たり前です。実際のところ、失敗の連続ですよ。野球なんか特にそうです。バッターは10回のうち3回打てば3割打者で一流ですし、投手だって、すべてのボールを思ったとおりのコースに投げることなんてできません」 

「僕たちも『失敗したら負けるぞ』と教わってきましたが、でも、そうではないですよね。長年やってきて思うことは、『失敗したら負ける』のではなくて、『失敗を一つでも減らしたほうが勝てる』というのが正しい言い方です。そもそも失敗は付きものなので、最初から失敗を恐れてやっていたら、いいプレイはできませんよ」 (P87) 

まさに「ゼロリスク」なんてものはないから、失敗やリスクといかに共存して減らしていくかを考えるべきという指摘。 

これは、野球やそのほかのスポーツだけでもなく、社会一般のことにも当然ながら当てはまるんだと思う。ということは、社会そのものが失敗や負けを許されない「トーナメント」状態になっているのかもしれない。 

もうひとつ。 
その前に読んだのが、牧師の奥田知志さんと茂木健一郎さんの『「助けて」と言える国へ』という本。その中で奥田知志さんが語っていることも、「失敗」や「リスク」を恐れる日本社会のことである。

「ある意味、日本は傷つかない社会になったのです。というか、傷つくことを極端に避ける社会になってしまいました」 (P27)

「私は学びは出会いだと思うのです。人は出会いで変わります。例えば、子どもができたら子どものペースに合わせ、恋人ができたら恋人のペースに引っ張られますね。しかし、自分のペースが変えられることを極端に恐れていると誰とも出会えない。その結果無縁へと向かう。それが傷つきたくないということとも関連しています。人間は誰でも試練に遭いたくないというのが本音ですが、それがいきすぎた社会というのは、本当の意味では人と出会えない。安心安全がそんなに大事かと思います」 (P28)

「傷つく」というリスクを避けるがため、とりあえずの「安全安心」を守るため、人との出会いさえ避けてしまう。出会いのなければ、世界は広がらないし、助け合うこともできない。結局は、孤立していく。 

奥田さんも、当然ながら「リスクゼロ」を求めるのではなく、リスクとの共存を説いている。

社会というのは、“健全に傷つくための仕組み”だと私は思います。傷というものを除外して、誰も傷つかない、健全で健康で明るくて楽しいというのが『よい社会』ではないと思います。本当の社会というのは、皆が多少傷つくけれど、致命的にはならない仕組みです」 (P38)

2012年3月 9日 (金)

「日常を大事にしなければ、大きな奇跡は起こせない」

さらに前回の続き。「たくみにゆらぐ」ためには、どんな状態が必要か。

「統御できないもの」「アンコントローラブルなもの」であふれる世の中、その中で「たくみにゆらぐ」ためには、どうするべきなのか。これについて、もう少し考えてみたい。

その場合、ボクは、ルーティンを確立することが大切なのではないかと思っている。

毎度、参照にして申し訳ないが、内田樹氏は野球のイチロー選手を引き合いに、ルーティンの大切さを次のように語っている。(雑誌『AERA』2010年10月25日)

「イチローは、たぶん『ルーティン』に徹していると思う。生活習慣を変えない。毎日同じ時間に起き、同じことをする。スタジアムにも、いつも同じルートで通う。それが『昨日はあったが今日はないもの』『昨日はなかったが今日はあるもの』の検出にもっとも効果的だからである。クラッシュの予感も、爆発的なブレークスルーの手がかりも必ず、その兆候を取ることを彼は知っているからだ」

実際、マリナーズでイチロー選手のトレーナーを務める森本貴義さんも、著書『一流の思考法』で次のように語っている。

「『昨日の自分』と『今日の自分』を比較しているんです。繰り返すことで熟練し、型をつくりことで修正ができます。イチロー選手が継続的に結果を出せる秘訣は『毎日同じことを同じ時間に行う』」

自分なりのルーティンを確立する。でも毎回、そのルーティン通りにいくとは限らない。繰り返す中で、それでも変わっていく自分、昨日とは違う自分、すなわち「ゆらぐ」自分を見つめ、修正を加えていく。
ただ「ルーティン」そのものもエントロピーを抱え、破綻に近づく宿命にある。「ルーティン」そのものに修正を加え続けることも必要になる。修正を加え続け、さらには、その枠を常にはみ出そうとし続けること。継続と過程を大切にし続けながら、「ゆらぐ」のである。

自分にとってのベースとなる「ルーティン」があれば、どこに戻り、どこを修正すればいいのかがわかる。まさに生物学の福岡伸一氏の言う「動的平衡」の営みそのもの。この「動的平衡」のことを「たくみにゆらぐ」というのではないか。ルーティンをベースに修正を加えていき、新しい自分を常に作っていくのである。

正月の大学駅伝を制した東洋大学の陸上競技部長距離部門監督の酒井俊幸さんは、次のように語っていた。(読売新聞夕刊3/2)

「日常生活がこうして平穏にあることも、東日本大震災の後では奇跡的なことに思える。日常を大事にしなければ、大きな奇跡は起こせない。淡々と努力をしていきたい」

きっとルーティンを日常生活と言い換えることは可能である。ゆらぎながら日常生活を継続し、その過程こそを味わうことで、いつかブレークスルー、すなわち奇跡が起きることもあるのではないか。

2011年11月22日 (火)

「つまりルールは必要なときに適用すればいいのであって、あとはフレキシブルに対応すればいいじゃないかという考え」

きのう作家の奥田英朗さんのスポーツエッセイ集『どちらとも言えません』を読んでいた。もともとは雑誌『number』に連載されていたコラムで、スポーツそのものやその周辺で起きることに対して、自らの人称をはっきり打ち出して思いを書いている内容。スポーツを扱っているが、十分に社会批評となっていて興味深く読む。

冒頭のフレーズは、その本の中の『改めて考える日本人サッカー不向き論』という項目の中から抜粋したもの。

この項で、奥田さんは、日本人というのはタクシーに乗る時など社会のいろんな場面でちゃんと順番を守る特性を持つ。それがゆえ、サッカーが苦手であると説く。

「待っている奴には回ってこない。これが世界の常識なのだ」

反対に日本人が野球を得意とする理由については、次のように書く。

「こういう決まりごとの多い競技において、日本人はとてもいい働きをするのである。全員に打順が回り、全員にスリーストライクが与えられる。このサッカーではありえないすわりのよさと平等性よ。野球は日本人のために作られたようなゲームなのだなあ」

奥田さんの独特の言い回しや斜めからのモノの見方は考慮に入れなければいけないが、思わずうなずいてしまう。

さらに日本人の順番や決まりを守ってしまう特性について、次のような例も紹介する。

「たとえば神宮のナイター観戦。よほどの好カードでなければいつもガラガラで、どこでも好きな座席に座ればいいのであるが、多くのお客さんは、購入した座席指定の椅子に律儀に座っているのである」

「ヨーロッパでスポーツ観戦したとき感じたことだが、向こうの人々は、スタンドが空いているとき、指定などをお構いなくまず一番いい席に陣取る。そこで観ていて、指定席の客が現れたら『パルドン』と言って、別のいい席に移る。そこにも来たら、また移る。そういうことを何度も繰り返して平気なのである」

そのあと、冒頭に紹介した以下のセリフが続く。

「つまりルールは必要なときに適用すればいいのであって、あとはフレキシブルに対応すればいいじゃないかという考えなのだ」

これは、海外でスポーツ観戦していた時に、ボク自身もすごく感じたことである。アメリカの大リーグでも、そうだった。ボクは、指定席の客が現れるまで、バックネット裏の特等席で、野茂投手のピッチングを楽しむことができた。

日本では、スタジアムに入るときに、入り口でチケットを切ってもらった後、さらに自分の席のあるゾーンに入るときにも係員に必ずチケットの提示をする。奥田さんが指摘するように日本人の順番を守らないと落ち着かない、という特性があるのだろう。スタジアム側からしても、席を譲る、譲らないといういらないトラブルを避けたいという思惑もあるのだろう。でも決められたことに従っていないと落ち着かないというのは、日本人の良い面でもあり、悪い面でもある。

しかしスポーツの座席に関して言えば、ムダが多いと思う。もしヨーロッパのようにそれぞれの判断に任せてしまえば、そのソーンごとにチェックのため配置するスタッフの人件費を節約できる。その上、選手にとっても、良い席、すなわち一番目に入る客席がちゃんと埋まっていることはプラスなのではないか。大相撲の両国国技館が少し前まで、あいている席には自由に座れたはずと思うが、先般の暴力団関係者との事件で、今はどうなっているかは知らない。

ちなみに、今月の雑誌『中央公論』12号は、特集として『この世界を生き延びるための最後の一手』を組んでいて、その中で脳学者の養老孟司さんと建築家の坂口恭平さんが対談をしていた。その中で養老さんが次のように語っていた。

「自分の目で見て、自分の頭で考えて、ルールを曲げる。そういう感覚をもう日本人はなくしているでしょう、でも『生きている』ってそういうことじゃないですかね」

奥田さんの指摘と重なる部分がある。養老さんが言っていることは、先日も記述したが、まさに「陽明学」の考え方。「システム・ルールにただ従うのではなく、自分の行動に合わせて新しいシステム・ルールを作っていく」というもの。つまり「知行合一」。養老さんは、今の日本人によるシステム依存を批判しているのである。奥田さんも、システム・ルールから、どうしても抜け出せない日本人の特性を面白おかしく指摘していることになる。

スポーツからも見えてくる日本人の特性。これは、どうしようもないのか。養老さんの指摘するように「生きるとは、どういうことか?」。ここから考え直すしかないのだろうか。

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