★教養とは何か

2014年11月21日 (金)

「教養は常に多様性とセットであるべきだ、と思います。教養がその価値を本当に発揮するのは、多様性が担保されている場だ、と思います」

少し前のブログ(11月7日)では、教養について少し触れた。何が起きるか分からない未来を楽しむためには、教養が必要ということだった。

今回は、改めて「教養とは何か」を考えられる言葉を並べてみたい。

建築家の隈研吾さん著書『僕の場所』より。

「教養というのは、実は毎日を生きていく上でとても力になってくれるもので、それは樹木にとっての土や水のような形で、僕の体を支え、守ってくれているのです。まさに『人はパンのみにて生きるのにあらず』なのです」 (P7)

予備校教師の里中哲彦さん著書『まともな男になりたい』より。

「小生のいう『教養』とは何か。それは『自分とは何かを明らかにしてくれる力』のことである。つまり、内に向けては『自分とは何か』を承認し、外に向けては『自分とは何か』を証明していこうとする行為の集積が『教養』なのである」 (P90)

そして池上彰さん著書『池上彰の教養のススメ』より。

「教養を身につけるとは、歴史や文学や哲学や心理学や芸術や生物学や数学や物理学やさまざまな分野の知の体系を学ぶことで、世界を知り、自然を知り、人を知ることです。世界を知り、自然を知り、人を知る。すると、世の理が見えてきます」 (P4)

「向き合っている世界の中から、自ら問題を発見し、自ら答えを見つけてくる。狭い専門分野に収まっているだけではできないこと。それが実社会で生きる、ということです。そこで必要なのが教養です。教養はきわめて実践的で、実用的な『道具』になり得るのです。教養は、何が問題で何が答えか分からない現実社会で、問題と答えを探るための手がかりを与えてくれます。教養のあるなしが、生死を分けることだって珍しくなのです」 (P32)

「与えられた条件を疑うのは教養の力のひとつです。でも、疑ってそれでおしまいでは、ただの評論家どまりです。教養の力はもっともっと大きい。つまり、自分で新たに条件を創る、ルールを創る、市場を創る際、教養がものを言うのです」 (P32)

「教養はあなたを『ルールを守る側』から、『ルールを創る側』にいざなってくれます」 (P34)

この指摘は「ルール主義から原則主義へ」につながる(2012年5月8日のブログ)(2013年3月7日のブログ

さらに、池上さんは次のようにも綴っている。

「未来に必要なのは、『いまだないもの』を生むことです。逆にいえば、みんなが使っている『今役に立つ道具』では、未来を生むことができません。一見「役に立たない」「関係ない」教養こそが、未来を生む創造的な力となるのです」 (P38)

「教養は常に多様性とセットであるべきだ、と思います。教養がその価値を本当に発揮するのは、多様性が担保されている場だ、と思います。つまり、文化の多様性であり、人種の多様性であり、性の多様性であり、世代の多様性であり、経験や知識の多様性です」 (P380)

そうなのである。
教養と多様性はセットなのである。この言葉は大事だと思う。


サッカー元日本代表のイビツァ・オシムさんは、次のよう語る。雑誌『フットボール批評』(2014年2号)より。

「ピッチの内と外に限らず、サッカー選手の成功のためには一般教養も大事だ。(ウインストン)チャーチルほど一般教養を持つ必要はないが(笑)」

「今のサッカー選手は人生についてのインテリジェンス、言葉の知識あるいは他の民族の習慣の知識も持っていないといけない」

W杯ブラジル大会を制したドイツのブンデスリーガを例にあげるまでもない。現在はどこのチームでも移民あるいは外国籍の選手が多くなっているじゃないか」

「サッカー界ではボードの上の戦術知識だけではない。ますますいろいろな知識が必要になってくる」 (P18)

まさに、多様性と教養はセットであるという話である。
 

このオシム氏のコメントは、当然ながらサッカーだけの話ではない。そのまま我々が迎えるこれからの一般社会そのものにも当てはまる。7月17日のブログ




2013年10月15日 (火)

「いざというときにリスクを取る自信と能力をつけるために、我々は学び続けねばならない」

前回のブログ(10月10日)の「失敗」「リスク」に関する言葉に続いて、「リスク」について書いてみたい。

話はいきなり飛ぶが、
TPPに関するニュースを読んでいると、日本の外交能力についての疑念が浮かぶ。

以前、ラジオで元フィンランド外交官の北川達夫さんが、もてはやされるフィンランドの教育についての話を思い出す。北川さんによると、フィンランドはヨーロッパの各国から 

「フィンランドはEUで何も発言しない」とバカにされ、外交交渉力を身につけるために教育改革が行ったということ。日本も教育レベルからの改革が必要なのではないか。

その外交について、雑誌『中央公論』(11月号)で、政策研究大学院大学客員教授の小松正之さんが「国際社会で外国人を言い負かす方法」と題する文章を書いて、外交交渉とリスクをからめていた。 

「日本人は国際競争が下手だと言われるが、私が思うに原因は語学力のみにあるのではない。もっと深い所にある。『語学力の不足』に加え、『語るべき内容がない』ことと『リスクを取ろうとしない姿勢』のせいだ」 (P44) 

どうやら外交能力にも「リスクを取ろうとしない姿勢」が関係しているようだ。 

さらに小松さんは、次のように書いている。 

「リスクを負わないと『組織は動かない』と言うと、外国人にはすんなり伝わるのだが、日本人は違う」 (P44) 

「これまで話してきたことのすべての根底には、現代の日本人のリスクを取らない姿勢がある。リスクを取るということは、『リスクを取らないことで被るリスク』を小さくするということだ。リスクを取るためには、自分の好奇心を大切にすることだ。好奇心がないと、人間は年齢とともに萎縮してしまう。知識を得ることで自分の世界を広げることができるかどうか。これがリスクを取れる人間とそうでない人間を分ける」 (P45) 

では、どうすればいいのか。最後にこう書いている。 

「私たちができることがあるとすれば、ひたすら愚直に学び続けると言うことだけだ。教養と学びに終わりはない。いざというときにリスクを取る自信と能力をつけるために、我々は学び続けねばならない」 (P45) 

この姿勢については、以前のブログ2012年1月12日)で紹介した佐藤優さんの言葉を思い出す。改めて著書『野蛮人の図書室』から。

「『どうしたらいいか?』って問いには、答えを出さずに不安な状況に耐えることが大事だと思う。回答を急がない。不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

もうひとつ。これは「リスク」と関係ないが、さきほど名前を挙げた北川達夫さんが、2010年5月19日の講演 で次のように述べている。 

「たとえば、国連の事務次長として、数々の国際紛争を仲裁されてきた明石康さん。 明石さんは、欧米の『強力でグローバル・リーダー的な仲裁者』とは異なり、決して『自分が絶対に正しい」』という姿勢はとらなかったといいます。その姿勢が高く評価され、多くの国際紛争において紛争当事者たちから 『明石さんに仲裁者になってほしい』との声が上がったといいます」 

自分は正しいという姿勢はとらない。これは、5月15日のブログ で紹介した作家の高橋源一郎さんの言葉のほか、「正しさ」について紹介した言葉に重なる。ここでは高橋さんの改めて紹介しておきたい。読売新聞(2012年3月6日)から。

「『本当の正しさ』を突き詰めていくと、人は狭量になり、寛容さを失っていきます」

2012年1月19日 (木)

「不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

モノへの執着を捨てることを推奨する『断捨離』という言葉があるらしい。コンサルタントのやましたひでこさんが推奨する考え方らしく、その著作も話題ということ。字面は、なんとなく見ていて知っていたが…。そんな意味だったとは全く知らなかった。

先日、たまりにたまった過去の新聞のコピーなどに目を通していたら、去年12月16日の東京新聞夕刊に、そのやましたひでこさんのインタビューが掲載されていた。そのインタビューの中で、東日本大震災を受けて考えたことを話していて、それが少し印象に残ったので紹介してみる。

「震災直後、被災地から遠く離れた人たちが買いだめに走る様子を見て、衝撃を受けました。スーパーに大挙して押しかけ、三日分、四日分の食料や水を買い求める人たち。こうした人たちは、一週間分、一カ月分買いだめしても不安が増幅していくのだと思います。『備蓄』と『買いだめ』は違うのに、どれだけのモノが必要か、分からなくなってしまったのではないか」

震災後に東京をはじめ、日本中で起きた食材や生活必需品などの「買いだめ」「買占め」という現象についての感想である。

やましたさんが指摘する、この「不安心理」について、ボクなりにつらつらと考えていたら、この構造は、多くの人が「老後への備え」としてお金を貯め込むことと、全く同じではないか、と思えてきた。

老後の不安に対して、人々がため込んだ「タンス預金」。これが莫大なため、市場にお金が回らないという話はよく聞く。仕事からリタイアする老後というは、「きっとお金がかかる」「お金がないと病院にも行けない」「お金がないと自分の生活を楽しめない」なんて思って、今、お金を使わずに「老後のもしもの時」に備えて、せっせと「タンス預金」を貯め込む。

その結果、以前、ラジオで聞いた話によると、「親の遺産を受け取る人の平均年齢は、60代の後半」とのことだ。ちょっとショックだった。今や80歳を越えた高齢の親が亡くなり、それを受け取る子供も、その時点で60代の後半になっているというのだ。若い人たちに比べて、高齢者の方々の財布のヒモが堅いことは想像に難くない。つまり、日本社会に存在する「お金」のかなりの部分が、「タンス預金」から「タンス預金」へと移動しているにすぎない。お金は消費にまわることなく、ずっとタンスの中で「もしもの時」を待って額だけ増やしているのだろう。

もちろん老後に不安があるのは分かる。そのための備えも必要になる。でも、やました氏が言うように『備蓄』と『買いだめ』は違うのである。とはいっても適切なお金の『備蓄量』というのは、高齢者にとっても、若い世代にとっても難しいことも確か。そう考えてみながら、いろんな資料に目を通していたら、そうしたお金に関するコメントは、やはりとても多かった。いくつか拾ってみたい。

まずは、ライターの北尾トロさんが自ら編集する雑誌『季刊レポ』(2011年冬号)の 『1年経ったら火の車』という文章の中で、こんなつぶやきをしていた。

「金ってそんなに大事なんだろうか。たくさんの金を得たとして、その金でやりたいことがなかったら銀行口座の数字が増えたり老後の生活に多少の安心感がもたらされるだけでしょ。やりたいことのあるヤツが、やりたいことをやるための資金を手にしたときにその金は生きる。だけど、往々にしてやりたいことのあるヤツには金が回ってこないんだなコレが」(P76)

雑誌編集のお金のやりとりに苦戦する本人から出た「お金」に対する率直な思いなんだろう。

内田樹さんは、近著『呪いの時代』で、お金を貯め込むことについて、こんな文章を載せていました。

「もちろん、老後が心配とかそういうご事情の方もいると思いますけれど、老後の蓄えなら、1億も2億もいらないでしょう。一人の人が大量の貨幣を貯め込んでも、いいことなんかない」

「『自分のところにきたもの』というのは貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分ところで止めないで、次に回す。自分で食べたり飲んだりして使う限り、保有できる貨幣には限界がある。先ほども言いましたけれど、ある限界を超えたら、お金をいくらもっていてもそれではもう『金で金を買う』以外のことはできなくなる。そこで『金を買う』以外に使い道のないようなお金は『なくてもいい』お金だと僕は思います」
(P172)

なぜ人はお金を貯め込むのか。老後の不安以外にも、いろんな理由があるということ。雑誌『新潮45』1月号には、経済学者の小野善康さんの『「お金への執着」が経済を狂わせる』という文章が掲載されていた。

「お金の数字情報は、もっとも効率よく人びとを幸せにする。数字の桁が上がってくるだけで、巨大な可能性を手にすることができるからである」(P54)

「交換性を保持しながら、我慢して使わないことによってのみ妄想に浸れる。そのため、働いて稼いだお金が物を買うためでなく、貯めることに向けられ、モノへの需要にならない」(P55)

最初に紹介したやましたひでこさんは、震災後におきた『買いだめ』について、同じインタビューの中で次のようにも言っている。

「買いだめをした人たちの中には、『増えたら幸せ、あればあるだけ幸せ』というのは幻想だ、ということに気付いた人もいると思います」

そして内田氏も、お金の「囲い込み」について震災後、同じようなことが判明したと、雑誌『新潮45』12月号の『「宴会のできる武家屋敷」に住みたい』に書いている。           

「いままでの社会システムは基本的に市場原理で動いていました。必要なものはすべて商品の形で提供された。ですから、市民の仕事は『欲しい商品を買えるだけの金を稼ぐこと』に単純化した」


「でも、東日本大震災と福島の原発事故でわかったことは、『金さえ出せば欲しいものが買える』というのは極めて特殊な非常に豊かで安全な社会においてだけ可能なルールだったということです」

 
最後に元外務省官僚の佐藤優さんが著書『野蛮人の図書室』に書いていたフレーズを載せておく。


「もちろん資本主義社会において、失業し、賃金がまったく入ってこないならば生きていくことができない。しかし、自分の必要以上にカネを稼ぐことにどれほどの意味があるのか、よく考えてみる必要がある。少し余裕のある人が困っている人を助けるという行動をとるだけで、日本社会はだいぶ変化するはずだ。それができないのは思想に問題があるからだ」(127P)

 

基本的には、佐藤氏も内田氏と全く同じことを言っている。とはいっても、先の見えない不安にどう耐えるのか。佐藤氏は次のように書く。

 

「『どうしたらいいか?』って問いには、答えを出さずに不安な状況に耐えることが大事だと思う。
回答を急がない。不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

うん。良いこと言う。「不安に耐える力こそ『教養』」。これはメモしておいた方が良いと思う。

とても文章が長くなっていましたが、我々は震災後の買いだめ状態と同じことが、お金についても起きている。お金と買いだめ、これについて改めて考えてみたりする必要があるのではないか。そんなことを考えたわけです。

 

 

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