グローバリズム

2013年6月 5日 (水)

「私たちの想像力は今や完全に『経済成長』によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる」

きのう、いつも使っているPCが壊れた。復旧しないと色んなメモが残っているファイルが消滅してしまう。かなりピンチ。気を取り直して、別のPCを使って書いてみる。

昨晩、サッカー日本代表が5大会連続のW杯出場を決めた。今朝、記者会見にのぞんだキャプテン長谷部誠選手は、次のように語っている。

世界で勝つためには、もっともっと成長しないといけないと痛感しているので、ワールドカップに向けて成長度を上げていきたい」

一方で、安倍総理は今日、成長戦略の第3段を発表したようだ。あっちでもこっちでも「成長!成長!」といった感じ。

そこで、せっかくなので手持ちのメモ帳に残っている。「成長」についての言葉を並べておきたい。まずは、きのうの朝日新聞夕刊(6月4日)に、フランスの経済哲学者のセルジュ・ラトゥーシュ氏がインタビューに答え、「脱成長の必要」を語っていた。

「私たちの想像力は今や完全に『経済成長』によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる」

「日本の例が示しているのは、経済成長至上主義の社会のままで低成長になると、人が生きていくのに厳しい社会になるということ。結局、経済だけでは問題は解決しない」

これからは人口も減るし、資源も枯渇する。なのに、これまでと同じように成長を求めることはムリがあるのでは。誰でも分かりそうなものだけど。そういえば3月のIOC評価委員会の歓迎スピーチで、安倍総理「より速く~!より高く~!より強く~!」と唄っていた。なんだか時代遅れのフレーズに聞こえたのはボクだけではないと思う。

ラトゥーシュ氏は、次のようにも語っている。

「もはや私たちは問題を『知らない』のではない。ある哲学者の言葉を借りれば、『知っていることを信じようとしない』のです」

佐賀県唐津市の農民作家、山下惣一さんの言葉。朝日新聞(5月16日)から。

「経済成長するほど、農業や地方が疲弊してきたのがこれまでの歴史です。自然を相手にする農業は成長してはいけない。去年のように今年があり、今年のように来年があるのが一番いい。私たちはこれを安定といい、経済学者は停滞という」

地域エコノミストの藻谷浩介さん著書『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?』から。

「成長せずともトントンであればストックが維持できるかもしれません。事実、ここ20年の日本がそうです。成長せずにどんどん他国に抜かされていると言う人がいますが、実際外国に住んでみれば、いかに日本が恵まれた状態か痛感しますよね」 (P82)

安定して、ストックが維持できているのに、それを「停滞」と捉える。まさに「成長目線」。「マイナス成長」という言葉だってそう。マイナスなのに「成長」、まったく意味が分からない。

哲学者の内山節さん朝日新聞(3月13日)から。

「貨幣経済に染まった戦後的惰性なんでしょう。貨幣を増やせば生活が豊かになる、成長すれば何でも解決できるという古い意識にとらわれている人たちが、内輪で同じことを言いあっているうちに、それが真理のように思えてくる」

安倍政権の成長戦略というものを見ても「成長すれば何でも解決できる」という幻想からは抜け出せていない。

そもそも「経済成長」以外は「成長ではない」と捉えないという風潮が問題なのではないか。同じ「成長」という言葉でも、サッカーでの成長と、経済での成長は当然ながら違うものである。

では経済以外の成長とは・・・。フランスの経済学者、ダニエル・コーエン氏朝日新聞(1月18日)から。

「人間が成長のない世界に向かうとは考えにくい。しかし、今までとは本質的の異なる、理にかなった成長を、目指さざるをえない。たとえば知識の成長だったり、医療の成長だったり・・・。いずれにしても物質的ではない成長だ」

巨匠のノーム・チョムスキー氏著書『アメリカを占拠せよ!』から。

「成長とは、たとえば、よりシンプルな生き方をする。より暮らしやすいコミュニケーションを築くといたことです。そのためには努力が必要になる。ひとりでに実現するようなものではない。違ったタイプの労働も求められるのです」 (P115)

「買えるものを最大限に買うのではなく、人生にとって価値あるものを最大にすることを基盤とした生き方。それもやはり成長です。別の方向へと向かう成長なのです」 (P116)

チョムスキー氏の言葉から思い出したのが、脚本家の倉本聰さんの言葉。東京新聞(1月1日)から。

「家族で言えば、家の中に電化製品が増えてくるたびに、バラバラになった」

経済成長を追い続け、買えるものを最大限に買い続けた結果、社会も、家族も、個人もバラバラになり、空洞化していったのかもしれない。

最後に、ジャズ演奏家の菊地成孔さんの言葉を。@niftyビジネスの『プロフェッショナル・ビジネス・ピープル』(2011年4月25日)から。

「絶対的な成長があるとしたら、生物学的なものだけ。すなわち加齢です。問題は、加齢に対してアゲインストするかどうかです。若くありたいという人がたくさんいるけど、老けていくのはいいことだと僕は思ってます。だって、『老け』くらいしか成長の痕跡がないわけだから。若者からおっさんへ、おっさんからおじいさんへと徐々に変わっていく。それでいいじゃないかと」

この考え方は、非常に深いものだと思う。社会にしろ、個人にしろ、加齢、すなわち齢を重ねていく過程で、徐々に変わっていくものを受け入れ、結果として視野や関係が広がっていくことが「成長」なのではないか。決して、金銭やランキングという数値のアップだけが「成長」ではない、ということではないか。

2013年5月 2日 (木)

「世界を牛耳っている勢力が怖いのは、得体のしれない有象無象がとびきり面白いことをすることだ」

今日は、「辺境」についての言葉を並べてみたい。

まずは、東京新聞について。東京新聞は、去年10月にその「原発事故取材班」が、第60回菊池寛賞を受賞しているが、最近、トンガった紙面展開が目立つ。原発問題だけでなく、待機児童や自転車の問題など、社会的な「弱者」に関わるニュースを思い切って第一面に持ってきたりもする。主要新聞の中で、なぜ東京新聞だけがトンがれるのか?そんな話を東京新聞の人にしたら、彼は「本社のある名古屋から、離れた東京に位置することが大きい」と指摘。名古屋の中日新聞社から見れば、という東京という離れた場所にあるから、いろいろ「言い訳」ができる。僕は「辺境」としての強みなのだ、と理解した。 

作家の村上龍さんと、ミュージシャンの坂本龍一さんも、対談本『村上龍と坂本龍一』の中で、次のように語っている。 

坂本 「ま、いま東京新聞やいくつかの地方新聞はがんばっていると思うけど」 

村上 「それはテレビ東京と同じで、いばってないからがんばれるんだよ」 

坂本 「うん、まさにそう思う。東京新聞も地方新聞も図体が大きくなるといろんな圧力がかかって、広告を出さないぞとかになってくる」 

村上 「そう。それにいまはマイナーな存在だから、虐げられている人の気持ちがわかるんだよね」 (P15) 

中央でなく辺境、そして、メインでなくマイナーな存在だからこそ、しがらみや圧力がなく、新しいことができる。そんな場所が「辺境」なんだと思う。 

例えば、ラジオというメディアの良さもそこにある。批評家の荻上チキさんは、TBSラジオ『デイキャッチ』(4月12日)で、次のように話している。 

「ラジオは実験場みたいな所がある。テレビに出れないお笑い芸人の実験場であるかもしれないし、論客にとってもそうかもしれない。実は次の時代に必要となるオピニオンとか、メッセージの実験場でもあったりする。そういう玉石混交の場として、ラジオ、そしてネットもこれから必要なメディアだと思う」 

ラジオは、テレビから見れば「辺境」かもしれない。でも、だからこそテレビにはない「リベラルさ」が存在していたりする。

思想家の内田樹さんは、「辺境」について次のように書く。著書『日本辺境論』から。 

「はるか遠方に『世界の中心』を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか、私はそんなふうに思うことがあります」 (P67) 

玉石混交の場としての「辺境」。好き勝手なことができるから、新しい価値観や、将来の中心を担うべき存在が生まれてきたりするのだろう。

建築家の隈研吾さんは、著書『建築家、走る』に、こんな言葉を載せている。 

21世紀の建築をリードするのは、中心でなく辺境です。中央に迎合しない辺境の心意気が、21世紀の建築をリードしていくのです」 (P154) 

ただ、この「辺境」とも呼べる場所や空間が、いま日本の社会から急速に失われているのも確か。 

社会学者の開沼博さん。最近出した著書『漂白される社会』で、「周縁的な存在」という言葉を使って次のように書いている。 

法や制度、慣習、社会的な規範とは、まったく異なる原理の中で生きる人々や集団。そこに存在する何らかの特権を軸に、一見すると傍流であり、また低俗でもあるようでいて、人々の魂を揺るがすような文化や社会現象を生き生きと作り続けている人や場所が、現代社会にも存在してはいないか。そして、それこそ、本書で追求すべき『周縁的な存在』なのではないか」 (P16) 

ここで言う「周縁的な存在」とは、まさに「辺境」のことであろう。 そして次のように書く。 

「現代社会とは漂白される社会だ。『漂白』とは、『周縁的な存在』が隔離・固定化、不可視化され、『周縁的な存在』が本来持っていた、社会に影響を及ぼし変動を引き起こす性質が失われていくことを示す。これは、物質的なことに限ることなく、精神的なものにも至る。それは、これまで社会あった『色』が失われていこうとする社会であるとも言える」 (P400)

さらに、開沼博さんは、TBSラジオ『たまむすび』(4月26日)で、この本で書きたかったことについて、次のように語っている。

「こういう猥雑なものとか、社会を周辺、端っこの方にありそうなものというのが、実は社会を面白くしている。社会を良い意味で喚起していると思う。そういう喚起する機能が、喚起する役割がどんどん抑え込まれているんじゃないの。つまんなくなっているんじゃないの。ということが言いたかった」 

では、なぜ「辺境」がなくなっていくのか。埼玉大学大学院教授の水野和夫さんは、 ビデオニュース・ドットコム『「経済成長」という呪縛からの解放』(2月22日)で、次のように話している。

「帝国の定義は国境線を画定しないことですので、常に辺境をあいまいにしておく。そうすると今のグローバリゼイションはなにが起きたかというと、技術革新で地球を全部覆い尽くして、ついに辺境がなくなった。フロンティアが失われたということ」
 

翻訳家の池田香代子さんの次の指摘も紹介したい。雑誌『世界』(2012年7月号)から。 


「世界を牛耳っている勢力が怖いのは、得体のしれない有象無象がとびきり面白いことをすることだ」
 

逆に言えば、現在のリーダーや、現在の価値観を守りたい勢力は、玉石混交で、好き勝手やって、新しい価値観が生まれてくる場所である「辺境」をできるだけ、社会の中から奪っていきたいと考えるに違いない。 

だからこそ、我々はなんとかして「辺境」的な場所や空間、存在を守っていき、そして新たに作っていかなければならないのだと思う。



2011年12月 2日 (金)

「若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。それらは、似ているようでいて、まるで違う」

ここ2回、大阪W選挙の結果を受けてのフレーズをとりあげてきたけど、今回もそんな感じ。コラムニストの小田嶋隆さんが日経ビジネスオンラインで連載している『ア・ピース・オブ・警句』に、今日(12/2)、『大阪の「維新」とまどろっこしい民主主義』と題した文章が掲載され、とても興味深かったので、その中のフレーズをとりあげたい。きのうの平川克美さんの指摘とも重なる部分も多い。

小田嶋氏は、まず、最近のニューストピックである「オリンパス問題、TPP、暴対法、大阪での選挙結果、自転車の車道通行問題、各種のコンプライアンス関連事案」には、「グレーゾーンに対する寛容さの欠如」が通奏低音としてあるとしたうえで、次のように述べる。

「われわれの社会は、白と黒との境界領域にある、「不明瞭さ」や「不効率」や「ルーズさ」に対して、鷹揚に構える余裕を失っており、他方、グローバリズムに取り込まれたローカルな組織に独特な、無力感に苛まれているのだ」

今までグレーゾーンとしてやってきた慣習、「日本的」とも、「なあなあ」とも、「曖昧」ともいえるような慣習について、白黒つけなければならないという風潮が強まっている」ということなのだろう。ボクは、これまで、そうしたグレーゾーンこそ「パブリックな意識」「公共的な意識」が問われる場だと思ってきた。ということでは、日本から「公共の場」、私のモノでも、あなたのものでもない場所がなくなってきたということでもあるのだろう。

続いて小田嶋氏は、「民主主義」について、こう書く。

「民主主義は、元来、まだるっこしいものだ。デモクラシーは、意思決定のプロセスに多様な民意を反映させるべく、徐々に洗練を加えてきたシステムで、そうである以上、原理的に、効率やスピードよりも、慎重さと安全に重心を置いているからだ」

その「まだるっこさ」を我慢できない社会やリーダーが希求するのが、「効率」であり、「スピード」であり、さらには「変わること」「改革」なのだろう。

「でも、私は、『維新』なり『改革』が、そんなに簡単に結実するとは思っていない。正直に申し上げれば、非常に悲観的な観測を抱いている。民主主義の政体に果断さや効率を求めるのは、そもそも無いものねだりだ。逆に言えば、それら(スピードと効率)は、民主主義自体の死と引き換えにでないと、手に入れることができない」

では、どうしたらいいのか。小田嶋氏は次のように述べる。

「民主主義は、そもそも『豊かさ』の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。それがもたらすのは、まだるっこしい公正さと、非効率な安全と、一種官僚的なセーフティーネットで、言い方を変えるなら、市民社会に公正さと安全をもたらすためには、相応の時間と忍耐が必要だということになる。結局のところ、われわれは、全員が少しずつ我慢するという方法でしか、公正な社会を実現することはできないのだ」

きのうも書いたように、我々は「耐える」「我慢する」しかないということらしい。「複雑さ」「あいまいさ」「不完全さ」そして、「まどろっこしさ」といったものに対して。

そして、冒頭に挙げた興味深いフレーズが書かれている。

「若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。それらは、似ているようでいて、まるで違う。ある場面では正反対だ」

この指摘は目から鱗だった。そう。ボクもどこかで「民主主義」と「市場原理」というのは同じ構造を持っていると思っていた時期がある。その違いについて突き詰めては、考えてはこなかった。

「民主主義の多数決原理は、市場原理における淘汰の過程とよく似ているように見える。が、民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている。だからこそそれは効率とは縁遠いのだ」

きのう平川氏は、民主主義が「最悪の結果」を招くことがあるからこそ、担保として「少数意見の尊重」が必要と指摘していた。それを小田嶋氏は「少数意見を反映しないと機能しないようにできている」という言い方をしている。ふむふむ。

こうした民主主義についての「負」の側面について、経済学者の佐伯啓思さんも、きのう(12/1)の朝日新聞のインタビューについて危惧を語っていた。

「日本人は、民意がストレートに政治に反映すればするほどいい民主主義だと思ってきた。その理解そのものが間違っていたんじゃないか」

「国民の政治意識の高まりを伴わないまま、民意の反映を優先しすぎたために、非常に情緒的でイメージ先行型の民主主義ができてしまった」

「最悪の結果」「衆愚政治」を招きかねない民主主義。それに市場と同じように「民意」というものを反映させてしまっているのが、日本の現状なのではないか、ということなのではないか。

佐伯氏は、次のように語る。

「まず民主主義の理解を変える。民主主義は不安定で危険をはらんでいることを前提に、どうすれば民主主義をなんとか維持していけるかを考えなくてはならない」

2日連続で、「民主主義」というシステムについてのフレーズを紹介することになってしまった。民主主義というとても大きな「システム」も、戦後60年が経ち「澱」のようなものがたまっているのかもしれない。そして我々の付き合い方、依存の仕方、更新の仕方を含め、どう対処しているかが求められている時期に来ているということなのだろうか。

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