「間違えて損をするのは怖いから、事なかれ主義で掟に従う。どうして政治家になったのかね」
今日の朝日新聞(10月29日)での「私の悪人論」という特集記事。そこに国会議員の亀井静香氏のインタビューが載っていた。興味深いコトバがあったので、それを紹介してみたい。
「今の時代、欲望だらけで、金よ、金よの利益追求が極大に達している。新自由主義なんてその最たるもんだ。政治家もその渦に巻き込まれている。そこで起きるのは事なかれ主義だ。世の中をどうにかしようという強烈な意志を持つやつなんていなくなった。大勢に順応し、自分の利益を守ろうとする。政界もそんなのばかりだ」
「金よ、金よ」の利益追求の社会では、「事なかれ主義」が広がり、「大衆に順応」する傾向も増える。つまり、「リスク回避」の傾向が広がり、「水を差す」ことも忌避される、ということだ。政界も例外でないという。
さらに亀井氏は、次のように話す。
「俺は違う。人間が決めた掟にかまわない行動をする。だから悪人といわれる」
「政治家に必要なのはね、使命感と覚悟だ。権力は、男性を女性にし女性を男性にする以外なら、なんでもできる。しかし今の政治家は覚悟がないから権力を使わない。間違えて損をするのは怖いから、事なかれ主義で掟に従う。どうして政治家になったのかね」
「掟」に従わない人間が「悪」。いうことは、今の世の中での「善人」というのは、「掟」つまり「ルール」に従う人のこととなる。まさに「ルール主義」がはびこるわけだ。(2012年5月8日 や6月20日のブログ など)。
亀井さんの指摘によれば、リスク回避の「事なかれ主義」と、「掟に従う」というルール主義はセットなわけだ。
この「私の悪人論」という特集は、リレーで行われており、前回は、元検事の田中一光さんのインタビュー。その中から。(朝日新聞10月22日)
「検事や弁護士の仕事をする中で、法と自分が考える正義が衝突することがよくありました。法に従うか自分の信念に従うか。究極の選択をする時、判断基準にしたのが若いころから私のバックボーンだった『論語』でした」
ルールである「法」と、価値観や美意識による「自分に考える正義」の衝突。これは、検事だけでなく、普段の生活や社会活動の中でもあちこちで起きる。こういう時に、盲目に「法」や「ルール」に従ってしまうことが、まさに「ルール主義」なんだと思う。ここで興味深いのは、田中さんは、「論語に照らし合わせる」という考え方。まさに「過去の英知」すなわち「歴史に学ぶ」ということ。(7月25日のブログなど)
ちなみに。
この「私の悪人論」。その第1回は、俳優の宇梶剛士さん。そこでも次の言葉が出てくる。(朝日新聞10月16日)
「人間は理性を持ち、過去から学ぶ生き物です」
そうです。学ばなければいけない。当たり前のことです。
ちょっと前に、NHKのBS1で『オリバー・ストーンが語るアメリカ史』というシリーズ・ドキュメンタリー番組を放送されていた。その最終回(第10回)で、オリバー・ストーン監督も、次のように語りかけていた。
「人類の歴史には戦争や死の記録だけでなく、誇りや成功、優しさ、思い出、そして文明が刻まれているのです。過去を振り返ることから未来への道は開けます」
リスク回避社会、ルール主義社会。それを打破し、抜け出すためには、「歴史」や「過去」に学び、そして積み上げた自分なりの価値観、美意識、心情を信じるしかないということ…。こう書いてみると、本当に本当に、当たり前のことなんだと思うんだけど、どうも政治の世界をはじめ、そうはいかないのが、これまた不思議だったりする。