「数字を残すのがプロ。数字に表せないものを表現するのもプロ。僕は数字だけにとらわれて生きたくない」
今日から、TPP(環太平洋経済連携協定)の首席会合がベトナムで行われ、来週19日からシンガポールで閣僚会合が行われるとのこと。
このTPPに関して当初、安倍政権は「まずは交渉に参加するだけ」であって、TPPそのものに参加するかどうかはそのあと決める。というような姿勢だったと思うのだが、いつのまにかメディアでは「妥結を目指す」という参加前提のトーンでの報道ばかり。交渉からの撤退は「負け」というようなニュアンスが強くなっている気がする。
そこで、このTPPについての言葉と、それにまつわる言葉をいくつか集めてみたい。
まずは、作家の田中康夫さん。雑誌『ソトコト』(2013年9月号)で、TPPについて次のように語っている。
「社会や家族の人間関係や文化・伝統といった、市場で『値段をつけられないもの』は価値ゼロとみなすのが、全分野で関税化を目指すTPPの眼目」
また、雑誌『SPA!』(2014年2月4日号)では、次のように書いている。
「資本が自由に国境を越え、事業展開する国に税金を支払わぬ多国籍改め無国籍なモンスター企業が国民国家=ネーション・ステイトより上位に立って消費者=国民を差配し、社会や家族の人間関係や文化・伝統といった『市場では数値に換算できない物』は価値ゼロだと捉える金融資本主義」
どうやらTPPとは「数値」に換算できるものだけに「価値がある」とし、それ以外のものは切り捨てるということとの指摘。
しかし、社会は「数値」に換算できない物で成り立っている。当然ながら。
作家の平川克美さんは、自身のツイッター(2012年7月25日)で次のように書いていた。
「経済合理性は、やせ我慢も、貧の維持も、侘び寂びも、美も説明できない」
逆に言えば、切り捨てる側からしてみると、「数値」だけで見た方が切り捨てが容易にできるということでもある。ここでもキーワードは「効率」のようだ。
最近ドラマで話題の小説『ルーズヴェルト・ゲーム』。この小説が発行されたときに作家の池井戸潤さんが雑誌『週刊ポスト』(2012年4月)で語っていた次の指摘も同じことだと思う。
「野球部なら野球部をコストという視点で捉えた時点で自動的に合理的削減対象になってしまうのだと」
スポーツやエンターテイメントの世界で、全てを「数値」だけで見て判断しても、つまらない。そして、それは社会全般でも変わらないと思う。
そのスポーツの世界からの言葉を載せておきたい。
サッカー選手の三浦知良さん。著書『とまらない』から。
「数字を残すのがプロ。数字に表せないものを表現するのもプロ。僕は数字だけにとらわれて生きたくない」 (P148)
イビチャ・オシム氏。雑誌『ナンバー・プラス』(2014年5月号)から。
「すべてが計算でき、数値に置き換えられるのであれば、サッカーは面白くもなんともない」 (P127)
そうなのである。
最後に作家の佐藤優さんの言葉も。著書『子どもの教養の育て方』から。
「目に見えるものは世界の一部にすぎず、世の中には目に見えないけど確実に存在するものがある。やさしさとか信頼とかも含めて」 (P144)