「安心安全がそんなに大事かと思います」
ここ6回続けて「リスク」についての言葉を並べて、それについて考えている。サッカー協会の田嶋幸三さんやオシム元監督によるスポーツ界における「失敗やリスクを恐れる風潮」についての指摘を例に取り上げてから始まった。(10月10日のブログ)
きのう桑田真澄さんと、ノンフィクション作家の佐山和夫さんによる『スポーツの品格』を読んでいたら次のような対話が出てきた。
桑田 「トーナメントというシステム、『負けたら終わり』というあり方そのものを考え直していくことが必要だと思います」
佐山 「『負けたら終わり』のトーナメントでは、一つの失敗が命取りになります。だから、日本の指導者は『失敗するな』『こういうことをしてはダメだ』ということを盛んにいいますね。つまり、禁止事項を厳密に命じるわけです。そして、選手が禁止事項を守らないと、罵声や暴力が飛び交うことになってしまう」 (P86)
甲子園の全国高校野球選手権だけでない。そういえばボクの子供が所属する少年野球チームも、トーナメント戦ばかり。
その一発勝負のトーナメントが「失敗を許さない風潮」を作っているのではという指摘である。これが以前のブログ(今年1月28日)でも紹介した「勝利至上主義」や「体罰」の問題にもつながっている。ヨーロッパやブラジルのサッカーでは、目先の「勝利至上主義」に陥りやすいということで、今では小学生レベルでは行われていないという指摘も読んだことがある。
桑田真澄さんは、さらに次のように語っている。
「スポーツで失敗するのは当たり前です。実際のところ、失敗の連続ですよ。野球なんか特にそうです。バッターは10回のうち3回打てば3割打者で一流ですし、投手だって、すべてのボールを思ったとおりのコースに投げることなんてできません」
「僕たちも『失敗したら負けるぞ』と教わってきましたが、でも、そうではないですよね。長年やってきて思うことは、『失敗したら負ける』のではなくて、『失敗を一つでも減らしたほうが勝てる』というのが正しい言い方です。そもそも失敗は付きものなので、最初から失敗を恐れてやっていたら、いいプレイはできませんよ」 (P87)
まさに「ゼロリスク」なんてものはないから、失敗やリスクといかに共存して減らしていくかを考えるべきという指摘。
これは、野球やそのほかのスポーツだけでもなく、社会一般のことにも当然ながら当てはまるんだと思う。ということは、社会そのものが失敗や負けを許されない「トーナメント」状態になっているのかもしれない。
もうひとつ。
その前に読んだのが、牧師の奥田知志さんと茂木健一郎さんの『「助けて」と言える国へ』という本。その中で奥田知志さんが語っていることも、「失敗」や「リスク」を恐れる日本社会のことである。
「ある意味、日本は傷つかない社会になったのです。というか、傷つくことを極端に避ける社会になってしまいました」 (P27)
「私は学びは出会いだと思うのです。人は出会いで変わります。例えば、子どもができたら子どものペースに合わせ、恋人ができたら恋人のペースに引っ張られますね。しかし、自分のペースが変えられることを極端に恐れていると誰とも出会えない。その結果無縁へと向かう。それが傷つきたくないということとも関連しています。人間は誰でも試練に遭いたくないというのが本音ですが、それがいきすぎた社会というのは、本当の意味では人と出会えない。安心安全がそんなに大事かと思います」 (P28)
「傷つく」というリスクを避けるがため、とりあえずの「安全安心」を守るため、人との出会いさえ避けてしまう。出会いのなければ、世界は広がらないし、助け合うこともできない。結局は、孤立していく。
奥田さんも、当然ながら「リスクゼロ」を求めるのではなく、リスクとの共存を説いている。
「社会というのは、“健全に傷つくための仕組み”だと私は思います。傷というものを除外して、誰も傷つかない、健全で健康で明るくて楽しいというのが『よい社会』ではないと思います。本当の社会というのは、皆が多少傷つくけれど、致命的にはならない仕組みです」 (P38)