「消費者意識というのが、21世紀のいちばん主要な正義になっている」
少し話題を変えます。
今日、いろいろな音源を聞いていたら、重なった言葉があったので、それを並べてみたい。
まず、コラムニストの小田嶋隆さん。週末に起きたJR東京駅の騒動について。TBSラジオ『たまむすび』(12月22日放送)より。
「消費者意識というのが、21世紀のいちばん主要な正義になっている。おカネを払う人間に対して、おカネをもらう人間は、どこまでもへりくだるべきだという思想がどこかある。それが政治的にも利用されている」
このJRの騒動については、火曜日の祝日の朝、FMラジオを聞いてたらナビゲータの外国出身と思われる方が次のようなことを話していたのも印象的。(番組名や人名は不明。すいません)
「日本人にはほかに暴徒と化すべきことがあるでは…。今は何でも“Shopping!Shopping!”」
政治学者の白井聡さん。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・デマンド』(12月20日配信)より。
「入れたい人がいないから投票に行かないということは、完全に消費者感覚。レストランに行っているわけではない。メニュー見て、どれもおいしそうじゃないので、じゃあ隣の店に行こう。そういう問題ではない。本当に腹が減っているときに、どれも選ばないという選択肢はない。そういう消費者感覚でしかない有権者だから、結局、政治家も育たない。緊張感がないから」 (パート1 45分ごろ)
そして映像監督の想田和弘さん。自身のブログ『観察する日々』(12月24日)より。
「今や『消費教』こそが、世界で最も繁栄した、普遍的な『世界宗教』なのだと思う。私たちを凌駕し圧倒する『大きなもの』といえば、もはやそれは『自然』や『絶対神』ではなく、『カネ』や『消費』なのである」
「『消費教』の勝利である。安倍さんは『消費教日本支部』の有能な宣教師である」
その想田和弘さんは、以前にも同じような指摘をしている。ブログ『観察映画の周辺』(2013年6月17日) より。
「政治家も主権者も、消費モデルで政治をイメージするようになってしまった。だから政治家は国民をお客様扱いする。同時に、軽蔑している。単なる消費者だと思ってるから」
「ずばり『消費者民主主義』なのだと思う。消費者はサービスを消費するだけ。つまりお任せ。不具合があれば文句言うだけ。何も生み出さない。税金と票という対価を払う以外、貢献しない。いや、気に入らなければ票さえ投じない」
活動家の湯浅誠さん。文化放送『ゴールデンラジオ』(2013年7月23日放送)より。
「われわれ、自分の好みのものを選ぶことに慣れている。それが普通になっているので、なかなか自分に100パーセント合致するものはどこもないけど、じゃあ、そのなかでどれがより悪くないかなって選ぶ、という習慣がなかなかない。そうすると、気に入ったものがないという形でどこにも入れないとなる」
「勝負事の将棋とか、いい手ばかり選んでられない。局面ではより悪くない手を刺さなくてはいけない。そこで致命的な手を刺さないことによって結果的に勝つ。野球もそう。100球投げて、100球ベストの球を投げられるわけはない。そういう風に考えられると、ショッピング的、カタログ的な発想にすると、どこにも入れるところはないとなる。いかに社会をより悪くしない、より少しでも欠点を少なくする方を選ぶという発想もできるんじゃないのかな」
日本中が「Shopping!」に浮かれているのはクリスマスだけではなく、もう年中、あらゆる場所でのこと。
でも、政治や文化の世界までも消費者感覚で捉えていると、いつの日か自分たちの社会や自分たち自身をも使い捨ててしまう。そんな気がする。