「完璧は求めず、とにかくやってみて、ダメなら直せばいいさ」
きのう紹介した作家の島田雅彦さんのインタビューを、もう一度、取り上げてみたい。
「会社の業績悪化や家族の病気など、人にはいや応なく別のニッチを探さなければならない場面がでてきます。どう対応できるか、自分をどう更新できるかで、その人の生き方が分かれると思う。この覚悟を持っているかどうかは大きい。東日本大震災を意識ました」 (毎日新聞夕刊8月13日)
きのうは、「ニッチ」という言葉に注目してみた。今日は、そのあとに出てくる「更新」という言葉に注目してきたい。
このブログでも、これまで、これから必要なのは「“変えること”よりも、絶え間なく“更新”を繰り返すこと」というようなことを書いてきた。(2011年11月24日のブログなど)
先の読めない未知なことが続く、世の中では、自分だけでなく、企業や家族など他者の事情で息詰まったり、これまでに居場所がなくなってしまうことも起きうる。しかし、そんな中でも生きてくためには、自分を少しずつ合わせていくしかないのだろう。それを「更新」という言葉をつかった。
ただ改めて紹介するが、脳学者の養老孟司さんは、次のようにも言っている。日経ビジネスオンライン(2012年2月10日)から。(2012年3月8日のブログ)
「一気に更新しようというのではなく、『だましだまし』やるという姿勢は大事なことだよ」
今日は、そんな「更新」という考えにつながるような言葉を改めて紹介してみたい。
まずは、きのうの朝日新聞(8月28日)に掲載されたイビチャ・オシムさんのインタビューから。
「私が思うに、あなた方はあまりに早く考えを変えすぎる。誰かがいいプレーをしていると判断したら、即座に同じようにやろうとする。しかし終始変え続けることはできないし、常に前進を試みるだけでなく、ときには一歩退くことも必要だ」
劇作家の鴻上尚史さんの著書『コミュニケイションのレッスン』から。
「人間は一瞬では変わりません。特に、身体が変わるには時間がかかります。けれど、その時間が、その人本来の時間なのです」 (P284)
また社会学者の中島岳志さんは、著書『「リベラル保守」宣言』で、少しずつ変えていくこと本来の保守のやり方だと書いていた。
「例えば、優れた老舗は、過去や現状に対する頑迷な固執を捨て、伝統に依拠した斬進的改良を進めていきます。もちろん同じモノを作り続けることは重要です。しかし、時に新しい試みを取り入れ、時代の変化に対応することも重要です」
「このチャレンジは、新しいものに見えて、まったくの新しいものではありません。表層的な新しさの深部には、歴史的に積み重ねてきた技法が潜んでいます。先代から受け継いできた無形の伝統が内在しているからこそ、新しい挑戦が可能になるのです」 (P38)
今年亡くなった精神科医のなだいなださん。東京新聞夕刊(6月10日)に紹介されていた言葉も載せておきたい。
「完璧は求めず、とにかくやってみて、ダメなら直せばいいさ」
なださんの「とりあえず主義」には、心から共感する。まずは、とりあえずやってみて、少しずつ「更新」していく。
上記に紹介したブログ(2012年3月8日)でも紹介しているが、藤原和博さんの言う「修正主義」もまったく同じことなんだと思う。
「(今の教育界や、日本全体を覆っている)正解主義は『修正主義』に。つまり『こうするのが正しい』とたった一つの正解があると信じ込む正解主義から、とにかくやってみてから修正していけばいいという考え方に転換する」
(毎日新聞夕刊2012年2月29日より)
自分でスペース・隙間を見つめ、そこでとりあえずやってみる。そして少しずつ更新・修正を加え、繰り返しながら、新しいルールを見つけていく。やはり、そんな姿勢が必要な気がする。