「日本の道徳教育というのが、村社会で、仲の良い均質な人同士の道徳を前提にしている」
前々回のブログ(4月9日)で、平田オリザさんの提案する「国際関係」の授業は、今、安倍政権が進めようとしている「道徳教育」の授業なんかよりも全然大事なことではないか、と書いた。
それに近い指摘があったので、ぜひ紹介したい。
教育学者の尾木直樹さんは、茂木健一郎さんとの共著『「個」育て論』で次のように語っている。
「道徳教育よりもむしろ、宗教とか、哲学とか、倫理学とか、もっとアカデミックで日常の生活の中に、歴史的かつ、グローバルな視点で入っていくべきであって、『道徳』なんてどれだけ口で言っても、結局は、日本の場合、武士道精神、要するに、戦前の修身なんですよ」 (P85)
対談相手の茂木健一郎さんも次のように語る。同じく『「個」育て論』から。
「僕がすごく気になるのが、日本の道徳っていうことをいったときに、異質な人が世の中にいるときにどうするか、みたいな話って、あまり入ってこないということです。例えば、外国人の方とか、バックグラウンドが違う方とどう付き合うか、みたいなことって、日本の『道徳』の中では、ちゃんと扱われていない」 (P90)
「日本の道徳教育というのが、村社会で、仲の良い均質な人同士の道徳を前提にしている」 (P95)
今、うちの小学生の子供のクラスにも、両親が外国人という子供や、ハーフの子供が何人かいる。そんな子供に「修身」の教科書に載っている成功談を読ませても…。もちろん、ムダではないだろう。
大昔の人生訓よりも、多彩な出自を持つ今の子供たちが、各々、どんな社会で育ってきたか、どんな文化や背景を持っているのかを知り、そして、どうやって付き合っていけばいいのかを考える。そっちの方がより大切だし、優先すべきものだと思うのだが。
さらに尾木直樹さんによると、すでに「道徳教育」は他の科目にも組み込まれるとのこと。
「指導要領の通り、数学の説明文の中や問題集の中にも道徳的観点をいかしています、とか言って。そんなんで道徳性なんか、養えるわけないんです。僕から見ると、現在の道徳教育の強化路線は、管理・統制のための手段にしか見えないですね。本当に道徳心豊かな日本人を育てるのだとしたら、方法がまったく違いますもの」 (P89)
あれだけ、社会の中の多様性の重要さが叫ばれているのに、教育は全く逆の方に向いている。(2月26日のブログなど、「多様性」についてのブログ)
本来、授業として「多様性」を教えることも大切だし、さらには教室という空間の「多様性」も大切となる。茂木健一郎さんの指摘。
「そういう行き過ぎた同調化、均質化圧力が、勉強をできる子にとっても、できない子にとっても、ストレスになっている気がします。いろんな人が同じ空間をシェアすることというのが僕は大事な気がします」 (P144)
安倍総理をはじめ、政治家や経済人は、何かと「グローバル、グローバル」と口にする。なのに、日本社会は教育を手始めに、どんどん多様性から離れ、管理・統制のしやすい均質化・画一化の社会を形成していく。
さてさて、この社会は、どこへ行こうとしているのか。