「エモーショナルな物語でなければ対抗できないからって、こっちもエモーショナルな言葉を謳っていいんだろうか」
前回の続き。エモーショナルな世の中について。
雑誌『SIGHT』(2014年SPRING号)では、作家の高橋源一郎さんと、思想家の内田樹さんと、編集長の渋谷陽一さんとの対談が掲載されている。
渋谷陽一さんは、東日本大震災以降の衆議院選挙、参議院選挙、そして都知事選と、いずれも脱原発などを掲げたリベラル候補が敗北したことについて、次のように語っている。
「リベラルや左翼の言っていることって、全然楽しくない。エモーショナルじゃない」 (P118)
「いわゆる左翼やリベラル勢力は、ポップな言葉を忘れすぎている。だから勝てない。だからそこで新しい言葉を持たない限り、敗北主義になってしまったり、アングラなものになってしまう危険性はあると思う」 (P121)
「たとえば脱原発っていう言葉ひとつ言っても、幸せそうに響かないわけだよ」 (P121)
今や社会のメインとなった感情や情緒で物事を考える層に、リベラル勢力は何も訴えることができていないという指摘である。エモーショナルに訴えないと、結局は彼らには届かないという見方である。
正直、この渋谷さんの抱く、焦りというか、忸怩たる思いは十分理解できる。
これに対して、高橋源一郎さんは、次のように語る。
「今の安倍政権の、愛国というエモーショナルな物語に対抗するには、当然エモーショナルな物語じゃなきゃいけないんだけど、僕はそれは危険だなと思っているところもある」
「エモーショナルな物語でなければ対抗できないからって、こっちもエモーショナルな言葉を謳っていいんだろうか」 (P125)
では、どうしたらいいのか。
エモーショナルでしかものを考えない人たちに、エモーショナルな物語や、エモーショナルな言葉以外で、どう語っていったらいいのか。
高橋さんは、次のようにも語っている。
「今安倍さんたちがやっていることは、有権者の愛国心を強めて、強い国を作るっていうことではなくて、物事をシンプルにしようっていう話なんです。『何も考えないで、俺たちの言うことをきけ』と。『国民なんだから国を愛するのがあたりまえだろ、以上、終わり!』というのが。今進行していることなんだ」
「僕らの『物事は複雑だよ』という論理は、強い言葉にならないと思うんだよね。弱い言葉を無数に集めるしかなくて、僕らは集める側に回っているということなんです」 (P128)
世の中をシンプルに従っている勢力に対して、とりあえずは「世の中は複雑だよ」と言い続けるしかない。時間がかかっても、今は力弱くても、それ以外の方法は結局はない、そんな気もする。
ただ、渋谷さんの焦る気持ちも分かるだけに難しいのだが…。