「試行錯誤で何度も何度も失敗するからクリエイティビティが生まれてくる」
先週読んだ日本サッカー協会副会長の田嶋幸三さんの著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』と、作家の森達也さんとジャーナリストの上杉隆さんによる共著『誰がこの国を壊すのか』からの言葉を改めてピックアップしてみたい。
まずは、田嶋幸三さんの言葉。田嶋さんは、サッカーについて次のように語っている。
「サッカーは失敗のスポーツ。ですから、失敗の出来る体験は、とても大切なのです。試行錯誤で何度も何度も失敗するからクリエイティビティが生まれてくる。日本選手たちにクリエイティビティが足りないとすれば、ひとつの答えを求めすぎる結果、失敗を怖れてトライしないからではないでしょうか」 (P197)
失敗、すなわち試行錯誤を繰り返した結果、クリエイティビティを手にすることができる。
田嶋さんの言葉と、森達也さんの次の言葉が重なっていて興味深い。イラク戦争のきっかけとなった大量破壊兵器の問題について、アメリカのメディアがあとからちゃんと訂正を行ったことについて、森さんは次のように語っている。
「あれは大なる間違いであり、間違いであったからには訂正するという姿勢を、アメリカのメディアは明確に出しています。間違いを認めることができるということは、自分達の復元力を信じているということでもある。つまり社会を信頼しているからこそ、間違いに気づけばそれを表明するし、検証や反省の過程でさらに論点を出してくる。止まらないんです。常に前に進んでいる。翻って日本のメディアと社会はどうか。われわれはそうした自浄能力を把持していると言えるだろうか」 (P37)
「自分たちの復元力を信じる」、「社会を信頼している」からこそ、間違いを受け容れることができるというのは印象深い指摘だと思う。自分の「復元力」、「修正力」を信じるサッカー選手は伸びるのである。きっと当たり前こと。
失敗、間違いを受け容れられない日本のメディアの風潮が、自ら判断をするのではなく、外部の判断に依存するという「記者クラブ問題」も通じているのではないか。ジャーナリストの松本仁一さんは、対談本『ノンフィクション新世紀』の中で、次のように語っている。
「現場に行くといろいろと間違えます。紙面上のケガもあるでしょう。思い込みで書いてしまうこともある。
ところが警察の発表や政府の発表を聞いて書いている限りは、それは相手にゲタを預けているわけですから、間違っていたらそれは発表した側が悪い、自分の責任にはならない。そうすると前へ出て勇み足でケガをするよりは、黙って待ちながら発表を聞いていた方がケガは少なくて済む。そういう考え方が、今の企業ジャーナリズムの中では強まっている感じがする」 (P20)
まさに日本のメディアが、失敗や間違いを受け容れず、避けようとする場面のひとつなんだと思う。、でも、それを避け続けている限り、サッカーの田嶋さんの指摘するようにメディアの中から「クリエイティビティ」は生まれてくることはないのかもしれない。
2012年12月20日のブログで書いた「まずは挑戦すること」を説く言葉の裏には、上記のような風潮があるのだろう。
もうひとつ『誰がこの国を壊すのか』での、森達也さんの印象的な文章を紹介しておきたい。
「メディアだけを叩いても仕方ない。その背後にある市場の問題を考えないといけない。視聴者や読者がメディアを造型します。今の日本のメディアが劣悪な存在であるならば、その市場である社会が同程度の劣悪であるということです。その意味では政治と同じです。社会が素晴らしいのにメディアや政治だけがどうしようもないという状況はありえない。絶対に相互作用です。メディアが変わるためには社会も、つまり自分が変わらなければならない」 (P95)
この部分を読んで、すぐに思い出したのが、以前、久米宏さんが、TBSラジオ『久米宏ラジオなんですけど』(2012年9月1日)で、映画『かぞくのくに』の監督ヤン・ヨンヒさんを相手に話していた次のフレーズである。
「現実の世の中っていうのはかなり分かりにくくって、そういう中で僕たちは生きている。映画館に入って観たストーリーがとても分かりやすくて…、というのはウソじゃない。僕たちの生きている世の中っていうのは実はかなり分かりにくく、みんな憶測とか、いろんなこと考えたり、誤解したりして生きている。映画の中だけ人生が実に分かりやすいというのはウソなんですよ」
ジャーナリズムや映画などのメディア、そしてスポーツ、さらには教育、企業、政治の場といえども、それは我々の社会との相互作用、すなわり「写し鏡」でしかない。森さんの指摘するように、そこを変えるためには、自分自身が変わらなければならない。すなわち我々がいかに失敗や間違いを許容し、そして「クリエイティビティ」につなげていくか…。
これは、先般、話題となったスポーツでの体罰問題と同じ構造だったりすると思う。あれも、これも…けっして他人事ではないのである。ん~。