少し前の毎日新聞夕刊(8月13日)に、作家の島田雅彦さんのインタビュー記事が載っていた。新刊『ニッチを探して』の出版に際してのもの。まだ本の方は読んでいないけど、印象的なフレーズがあったので紹介しておきたい。
「会社の業績悪化や家族の病気など、人にはいや応なく別のニッチを探さなければならない場面がでてきます。どう対応できるか、自分をどう更新できるかで、その人の生き方が分かれると思う。この覚悟を持っているかどうかは大きい。東日本大震災を意識しました」
生きていくうえでは、突然予想外の出来事が起きる。今までの自分の居場所が失われ、新たな居場所を見つけなければならない時が来る。ということだろう。
ちなみに小説のタイトルにも入っている「ニッチ」。辞書で調べてみると「隙間」という意味。
「隙間」という言葉で思い出す話がある。建築家の坂口恭平さんが著書『一坪遺産』で紹介していたエピソードで、東京駅で靴磨きを続ける男性についての話。少々長いけど、紹介したい。
「そんな変化を続けている場所でムラタさんは今日も路上で靴磨きをやっている。
『都市開発進んでますけど、大丈夫ですかね?』と僕が聞くと、『その時はまた必ずどこかに隙間が見つかるんだよ。そうやって今まで来たからね』。
どんな所でも隙間があるという確信なんてものを、今どれくらいの人が持っているのだろうか。いつの間にか僕は、かつてあって、自由に出入りこんで遊べた空地のような土地なんて無くなってしまったと思い込んでいた。こんな都市のド真ん中ではなおさら無理だと。
しかし、ムラタさんは全く逆の考え方で生きている。彼を見ながら、もしかしたら都市は視点さえ変えれば隙間だらけなのかもしれないと僕も思うようになった。使う人によって空間はどんな姿にでもなるのである」 (P72)
まさに、新たなニッチを探して生き延びている人の具体的なエピソードである。「都市は視点さえ変えれば隙間だらけなのかもしれない」という言葉にも勇気づけられる。
さらに、ドキュメンタリー映画を撮っている想田和弘さんも、毎日新聞夕刊(6月16日)のインタビュー記事で次のように語っていた。
「主流から外れたときに、すき間を探すことが大事だ」
ニッチを探す。隙間を探す。これまで僕は、サッカー用語から「スペースを探す」「スペースを埋める」という言い方を使ってきた。かなり以前のブログ(2012年5月8日)で、「ルール(規則)主義から原則主義へ」というフレーズを、「ルールを守ることから、スペースを埋めることへ」という言葉に言い換えたことがある。
そういえば、作家の平野啓一郎さんに『空白を満たしなさい』というタイトルの小説があったが、この「空白」という言葉も同じニュアンスなのではないか。
その「ルールを守ることから、スペースを埋めることへ」といことをシミジミと感じたのは、何度か通った東日本大震災の被災地である。非常事態の被災地では、空いている「スペース」を自分で見つけ、そのスペースをひとつひとつ埋めていかないと社会が起動しない。そこでは、これまでのルールや規則はもう役に立たない。現状に合わせて、ルールを変えたり、新しいルールを作っていく必要があるのである。
これも以前のブログ(2013年3月7日)で書いたことと重なる。
きっと同じことは、きっと日本の社会全体にも当てはまるのではないか。これまで右肩上がりが続いてきた社会では、何よりも「ルールや規則を守ること」が尊重されてきたように思う。しかし、これからの先が見えない社会では、きっと今までのルールが適応できない。現状とズレてしまったルールを守り続けることより、ズレによって発生したスペースや隙間を自分なりに埋めることが重要になってくるのではないか。
話はサッカーに移る。ただサッカーコーチをしている池上正さんが指摘していることも同じなのだと思う。コーチの言うことを聴いているだけでは選手は伸びない。自分でやるべきこと、スペースを見つけ、そこを埋める新しいプレイをクリエイティブしていくべきなのである。著書『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の方法』より。
「子どもが困ったときに大人の顔を見るという状況が、日本では非常に多い気がしてなりません。
特に、スポーツというものは、練習したような場面がいつも実戦で出てくるわけではありません。その都度、その都度、本当に微妙なのですが、違う状況がいっぱい出てきます。すると、言われたとおりの練習をやってきただけの子どもたちはそういう状況に対応できません」 (P90)
「『コーチの言うことを聞いてその通りにやる子よりも、コーチに反抗して全然言うことをきかない選手を育てたい』という方もいます。そういうコーチは自分の経験でわかっているわけです。自分たちの言うことを聞く子よりも、言うことをきかないこの方があとで伸びていくということを」 (P92)
「ある時、オシム監督は言いました。
『ヨーロッパの選手は、コーチが右だ!と言ったら、知らん顔して左へ行くよ』
周りになんと言われようが「おれの判断では左だ」と主張するのがヨーロッパの選手だといいます。
『日本人は右へ行けと言われたら、みんな右に行くね』
日本人の従順さは、監督にとって不可解であるとともに残念そうでした」 (P98)
もうひとつ。異なる分野から。ノンフィクションライターの立石康則さんの著書『パナソニック・ショック』から。
「経営は日々、未知との遭遇である。マニュアルにないことばかりが起きるのが現実である。その現実と向き合い、自分の頭で考え絞り出した答えをぶつけながら、間違えば修正しながら正しい答えを見つけ出す作業でもある。つまり、経験は暗黙知の世界なのである。だから、それを幸之助はしばしば『カン』という言葉で言い表している」 (P179)
先の読めない時代。未知なる時代。今までのルール・規則・マニュアルに背いたとしても、自分で考え、やるべきことや場所をみつける。やはり時代は「ルールを守ることから、スペースを埋めることへ」という流れなんだと思う。